【Deep China】では、在日中国人ライターが取材を元に、中国関係コミュニティを深掘り、その実情に迫ります。
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(取材・文/劉聰/在日中国人ライター)
戦後80年を前に、中国の実情を知り、アジアの平和な未来を築くことを目的とした「アジアの平和と未来をひらく若者訪中団」が、8月14日から19日までの6日間の日程を終え、無事帰国した。
大学生や社会人など原則35歳未満の若者たちが参加し、北京とハルビンを訪問。
過去の歴史と向き合うとともに、目覚ましい発展を遂げる現代中国の姿に触れ、現地の人々との交流を通じて相互理解を深めた。
歴史の事実と向き合う旅
訪中団は、「自主・平和・民主のための広範な国内連合」が呼びかけ、実施。
団員たちは、かつて日本の関東軍が細菌兵器の開発を行った「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」や、満州国時代の「偽満州国ハルビン警察庁旧址」などを訪れた。
特に731部隊の施設跡に建てられた陳列館では、研究員と交流する機会も設けられ、参加者たちは日本の加害の歴史を直視する重要性を痛感した。
北京では、日中戦争の発端となった盧溝橋に隣接する「中国人民抗日戦争紀念館」も見学。中国で唯一、抗日戦争史の全体を紹介するこの記念館の豊富な展示資料を通して、参加者たちは歴史への理解を一層深めた。


現代中国の躍動と未来への対話
歴史学習に加え、訪中団参加者らは現代中国の発展にも触れた。
中国屈指の名門である清華大学では、日中関係の専門家である劉江永教授らとともに、「日中関係の回顧と展望」をテーマに活発な交流を行い、未来志向の関係構築に向けた意見を交わした。
さらに、AI開発をリードするロボット企業や、世界最大級の規模で展開される北京市の自動運転モデルエリアを視察。急速な経済成長を遂げる中国のリアルな姿を目の当たりにし、中国の技術革新の現場を体感した。
帰国後の8月31日と9月7日には、都内で訪中団参加者個人による小さめの訪中報告会が行われたほか、9月18日には訪中団参加者ら4人による訪中報告会も行われた。
歴史を学び、現地での対話を通じて相互理解を深めた若者たちの旅が、今後の日中関係をより強固なものとする一歩となったことは間違いない。
訪中を終えた若者たちが、今回参加しなかった日本の他の若者たちにも自身らの経験を伝え、日中交流の輪が広がっていくことを期待したい。
本記事後半では、訪中を終えたコーディネーターの大島克彦さんのほか、訪中団に参加した若者たちへのインタビューを掲載する。
前回の記事で、訪中前に意気込みを語ってもらったAさんにも、再度インタビューさせていただき、訪中後の心境を語ってもらった。
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大島克彦さんへのインタビュー
(訪中団コーディネーター)
−−今回のプログラムに参加された方々の成長や変化をご覧になって、どのようなことを感じられましたか。
実際に中国を訪れて自分たちの目で見るのと、そうでないのとでは、非常に大きな違いがあると痛感しました。
日本の報道だけでは、さまざまな偏見や思い込みが生まれてしまいがちです。
歴史の問題に関しても、現地の資料館へ行けば、多くの写真や展示、そして証言に触れることができます。
そのような歴史的背景に加え、中国の現状についても、例えば、4車線の道路が非常に広い範囲にわたって整備されていることなど、実際に目の当たりにすることで理解が深まります。
ちなみに4車線の道路というのは、中国ではごく一般的ですが、日本ではそれほど当たり前ではありません。
また、自動運転やロボット技術など、中国の科学技術が日本で予想されているよりもはるかに進んでいる実態を目の当たりにすることで、参加者の意識も大きく変わったと思います。
特に歴史問題に絞って言えば、日本が過去に行ったことが、いかにひどいものであったかを実感することになります。これは非常に大きな学びであったと考えています。
まさに「Seeing is believing」、つまり「百聞は一見に如かず」ということわざの通りだと感じます。
ですから、一人でも多くの日本の若者が、このような実際の経験を通じて、中国で日本が何をしたのかを学ぶと同時に、現在の中国がどのような状況にあるのかを理解することが必要だと考えています。
それは、日本人が中国を理解するだけでなく、中国の人々が日本を理解するためにも必要な、双方向の取り組みです。
幸いなことに、中国からは毎年多くの方が日本へ旅行に来られており、旅行という範囲ではありますが、日本のことをある程度知る機会があります。
もちろん、日本の貧しい地域や、そうした人々の暮らしについては十分に知られていないかもしれませんが、それでも実際に来て見ることと、見ないことでは大きな違いがあります。日本側も、同様の努力をさらに進めるべきだと感じています。
−−大島さんご自身は、数十年という長きにわたり中国を訪れたご経験がおありですが、今回初めて中国を訪れた若者たちの姿を見て、ご自身の若かりし頃を思い出されることはありましたか。
侵略の歴史については、私が初めて訪れた1980年代にも同様の展示はありました。
しかし、今回の訪問で、中国側の研究が相当進んでいることを実感しました。
例えば、731部隊の犠牲者の名前が詳細に分かっているなど、中国側が多大な努力を重ねて調査された成果だと理解しました。
また、抗日英雄に関する話なども、取材や調査に基づいて丁寧にまとめられていると感じました。
今回の参加者の中に、在日朝鮮人4世の女性がいました。
彼女のお母さんとおばあさんが韓国人だそうで、彼女自身は日本国籍ですが、アイデンティティは韓国、あるいは朝鮮にあると認識しています。
そのため、彼女は侵略した日本人という立場ではなく、同じく侵略された側として、中国の展示を見ていました。
彼女に話を聞くと、「韓国にも日本の統治下にあった35年間に関する展示館があり、そこへ行ったことがあるが、それと比較しても、中国の調査の深さや展示の規模は非常に優れている」と語っていました。
これには各国の政策の違いなどもあるでしょうが、被害の実態をきちんと掘り起こし、後の世代に伝えていこうとする姿勢を感じたようです。
そして、そこを訪れる日本人にとっても、学ぶべきことが多いと話してくれました。
このように、中国が歴史問題に力を入れて取り組んでいることを、彼女は感じ取ったようです。この視点は非常に重要であり、私たち日本人も、韓国や中国の人々の視点をもっと知る必要があると改めて感じました。彼女の発言は非常に示唆に富むものでした。
−−今回のプログラムでご苦労された点はありましたか。
最も日本と中国の感覚の違いを感じたのは、北京からハルビンへ向かう寝台列車の件です。
4人部屋のコンパートメントで、多くの中国人はご家族で利用されていました。
私は、中国人家族3人の中に一人で入る形になりました。
中国語は昔勉強したものの、ほとんど忘れてしまっていたので、言葉も通じません。
家族からすれば、見慣れない外国人がいるという状況で、「どこから来たのか」と聞かれ、「日本だ」と答えると驚かれました。
そのご家族には子供が2人いて、中学生くらいのお子さんは同じ部屋でしたが、小学生のお子さんは親戚の方と別の部屋でした。
その子が私のところにやってきて、「日本人がいるんだって?」という様子で話しかけてきたりしました。
お母さんの方は気さくな方で、私が起きると日本語で「おはようございます」と挨拶してくれました。
学生たちは、この寝台列車の旅を非常に楽しんでいたようです。
日本では寝台列車で移動する経験はほとんどありませんから。
北京を夜の9時頃に出発し、翌朝8時頃にハルビンに到着する、約11時間の長旅でした。
私が同室だったご家族は、朝の6時頃からカップラーメンを食べ始めたり、子供はゲームをしていたりと、日本も中国も変わらないなと感じる光景もありました。
−−現地でのプログラム運営において、特に大切にされたことは何ですか。
(※ここから先はnoteで開設している「HYAKUYOU【Deep_China】」でご覧いただけます。リンクはこちらから→https://note.com/hyakuyou_dc/n/n045f072e6bcb)
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