
「ベトナムの街中で『グエンさん』を呼べば、あちこちで人が振り返るんですよ」と朗らかに笑うのは、現在、都内の大学院で国際関係を学ぶベトナム人留学生のグエン・ニャット・マイさんです。
幼少期の滞在を含めると日本での生活は通算10年近くになり、今では日本が「アイデンティティの一部」と語るほど深く馴染んでいますが、その道のりは平坦ではありませんでした。
母の日本への転勤に伴い、小学5年生で急きょ来日。
当時のクラスに外国人はただ一人。「自分は宇宙人のような存在だ」と、言葉の壁と孤独に直面した日々もありました。
しかし、テニス部での活動や周囲との交流を経て、いつしか日本は彼女にとって「帰りたくない」と思うほど、第二の故郷と呼べる存在になりました。
本インタビューでは、来日から現在に至るまでの葛藤と成長の物語に加え、現在取り組んでいる研究テーマについても伺いました。
さらに、昨今のニュース報道と外国人への偏見について、当事者として抱く複雑な心境や、マイさんが実体験から導き出した、多文化共生社会を実現するための「シンプルですが、最も重要な秘訣」にも迫ります。
将来は国際機関での活躍を志す若き研究者の言葉に、ぜひ耳を傾けてみてください。
「グエン」と呼ぶと、街中の人が振り返ってしまう
−−まずは自己紹介をお願いします!初対面の方には、どのようにお話しされていますか?
マイさん(以下、マイ):名前はグエン・ニャット・マイです。「グエン」が苗字で「マイ」が名前です。ベトナムではミドルネームを持つのが一般的で、「ニャット」がそれに当たります。普段は「マイ」と呼ばれることが多いです。
ちなみに「グエン」という苗字は、ベトナム人の約4割が持っていると言われています。
なので、ベトナムの街中で「グエンさん!」と呼ぶと、あちこちで人が振り返ってしまうんですよ(笑)。
現在は大学院の修士1年生です。昨年3月までは東京外国語大学に4年間通っていました。出身はベトナムですが、幼少期の滞在を含めると、日本での生活は通算で9年から10年ほどになります。
−−趣味や、学生時代に熱中していたことはありますか?
マイ:最近は体を動かすことにハマっていて、登山やトレッキング、あとは卓球を楽しんでいます。
ただ、学部の頃はなぜか全然運動していなくて(笑)
ボランティア活動や「模擬国連」のサークルに入っていました。
−−模擬国連とは、どのような活動をするのですか?
マイ:国連の会議を模擬的に行う活動です。誰かとペアを組み、ある国の代表になりきって、国際問題の解決策を考えていきます。
面白いのは、自分の個人的な意見ではなく、担当する国の利益や状況を徹底的にリサーチし、その国としての優先順位を踏まえて交渉しなければならない点です。
最終的には、自国も含めた多くの国々にとっての解決策を見出すために、協議やネゴシエーション(交渉)を重ねていきます。
それがすごく楽しかったですね。
−−マイさんが毎回ベトナム代表になるわけではないんですね。
マイ:そうです。毎回自分がやりたい国を選べるわけではなく、ランダムに割り振られます。全く知らない国を担当することもありますが、その分すごく勉強になりました。

クラスに一人の「宇宙人」だったあの日
−−マイさんが最初に来日されたのは小学生の頃だそうですね。きっかけは何だったのでしょうか。
マイ:母が日本に転勤することになったのがきっかけです。
当時、母はベトナムで記者をしていたのですが、4、5年の任期で日本への赴任が決まりました。
小学5年生の途中で急に来日することになり、そこから中学3年生の2学期まで、約4年半を日本で過ごしました。
−−来日が決まった時の心境は覚えていますか?
マイ:よく覚えています。ある日、母に「来月日本に行くね」と言われて、大ショックを受けました。
当時は祖父母と一緒に暮らしていて、家族や仲の良い友達と離れるのが本当に嫌で……。その場で号泣しました。
日本については、「お寿司」や「着物」、「ドラえもん」がある国、という程度の知識しかなくて。最初は本当に行きたくなかったんです。
−−実際に日本の学校に入ってみて、いかがでしたか?
マイ:最初の頃はとにかく辛かったです。場所は東京の杉並区だったのですが、当時はクラスに外国人の生徒が私一人しかいませんでした。
初めて登校した日がちょうど全校朝礼で、「今日から新しい友達が入るよ」と紹介されたんです。
全校生徒からの視線が一斉に集まって、みんなにジロジロ見られて……。「私は宇宙人みたいな存在だな」と感じましたね。
言葉も全く通じなかったので、母に買ってもらった「指さし会話帳」を頼りにしていました。
ベトナム語と日本語が併記されている本を指さしながら、なんとかコミュニケーションを取ろうとしていましたが、話せる日本語は「ありがとう」と「よろしく」くらいでした。
−−クラスメイトの反応はどうでしたか?
マイ:優しくしてくれる女の子もいれば、「何なのこいつ」といった態度をとる子もいました。
いじめと言うと言い過ぎかもしれませんが、言葉の壁もあって疎外感を感じることはありましたね。「お腹が痛い」と嘘をついて学校を休んだことも、一度だけあります。
−−そこから、どのように日本に馴染んでいったのでしょうか。
マイ:ターニングポイントは6年生になった頃ですね。会話がある程度できるようになってきたんです。
そして中学校に進学すると、小学校時代の私を知らない生徒も沢山入ってきて、環境がリセットされました。「私は成長したんだ!」と気持ちを切り替えて部活を始めたことで、毎日が楽しくなりました。
−−部活は何を?
マイ:テニス部です。実はベトナムを含む東南アジアではバドミントンが人気で、私もよくやっていたんです。
新しいことを始めたかったのと、テニスはラケットを使う競技なので、「バドミントンと似たようなものだろう」と思って入部しました(笑)。
3年間続けて、最終的に副部長まで務めました。
その頃にはもう、日本に対する理解が広がったどころか、日本が「自分のアイデンティティの一つ」になっていました。ベトナムに帰国する時は、「帰りたくない」と思うほど日本が大好きになっていたんです。
ベトナムでの「逆カルチャーショック」と再来日への決意
−−中学3年生でベトナムに帰国された後、どのような生活を送られましたか?
マイ:いわゆる「逆カルチャーショック」を受けました。街の景観や交通事情、衛生面など、日本との違いに戸惑うこともありましたが、一番ショックだったのは学校です。
教育システムやカリキュラムが日本とは全く異なりますし、高校1年生のクラスに入っても、「これ中学校で習ったでしょ?」という前提で授業が進むのですが、私は日本では習っていないことばかり。みんなに追いつくのに必死でした。
−−高校卒業後は、日本の大学に行こうと思われたのですよね。
マイ:はい。「絶対に日本に戻る」と決意していました。
日本で過ごした日々を通じて、日本が私のアイデンティティの一部として完全に定着していたんです。「このアイデンティティを失いたくない」と強く思っていました。
高校では、第一外国語が英語ではなく日本語のクラスに入り、日本語能力試験の勉強や、文部科学省の奨学金を得るための勉強を続けました。
−−そして見事、東京外国語大学に進学されました。大学選びは何を基準にしましたか?
マイ:東京外大を選んだ理由は、メディアに勤める母の影響で、元々国際関係に関心があったことがきっかけです。
国際関係を勉強するなら、まずは自分がいる地域から勉強を始めようと考え、東アジア地域について中心的に学びました。
外大の面白いところは、最初の2年間、何か一つ外国語を学ぶ必要がある点です。私は中国語を選びました。
日本で中国語も学びながら、日中韓、そしてベトナムを含む東アジアの国際関係を俯瞰できる環境はすごく魅力的でした。

「大国」中国の戦略と、ベトナム女性の権利
−−現在は大学院で研究されていますが、どのようなテーマを扱っているのですか?
マイ:明確に定まっているわけではないのですが、中国が自らを「発展途上国」と位置づける戦略的意図について研究しています。
中国は経済的にも軍事的にも大国ですが、国際社会の場では今でも「我々は発展途上国である」とアピールし続けていますよね。
ODA(政府開発援助)を受け続けるなど、そのアイデンティティをどのように外交カードとして利用しているのかに関心があります。
−−なぜ中国に関心を持ったのでしょうか。
マイ:自分の知識や能力を、日本とベトナムという二国間だけに留めたくなかったからです。東アジアという広い視点で見た時、中国は無視できない存在です。
また、せっかく習得した中国語を活かして、より深く政治のダイナミズムを理解したいと思いました。
−−ちなみに、最近は母国ベトナムの社会にも改めて関心を持っているそうですね。
マイ:はい。いろいろな国の人と関わる中で、「あなたはどう思う?」「ベトナム人としてはどう考えているの?」と意見を求められることが増えました。
自分の国について深く知ることの重要性を痛感しています。
特に関心を持っているのが、ベトナムにおける女性の権利、特にリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)です。
ベトナムは経済成長が著しい一方で、少子化への懸念から、政府が女性に出産を促すようなメッセージを発信しています。
女性の身体が、国家の利益や政治の対象として扱われているのではないか、という問題意識を持っています。
−−ベトナムの政治の場における女性の参画状況はどうですか?
マイ:非常に少ないのが現状です。政府の指導者層を見るとほとんどが男性で、女性の意見が政策決定の場に反映されにくい構造があると感じています。
このあたりも、今後深掘りしていきたいテーマの一つです。

偏見を超えて──多文化共生の鍵は「聞くこと」
−−現在、日本のシンクタンクでもインターンをされていると伺いました。
マイ:はい、現在、日本の民間シンクタンクでリサーチ・インターンをしています。
世界で起きたニュース、例えばアメリカの新しい関税政策などに対して、ベトナムや東南アジア諸国がどう反応しているのか、政府はどう動こうとしているのかを分析し、レポートを作成しています。
日本語に翻訳して日本の企業の方々に提供するのですが、勉強になりますし、非常にやりがいがありますね。
−−日本企業にとっても、現地のリアルな反応は貴重な情報ですね。さて、日本社会では今後ますますベトナムの方を含む外国人が増えていくと思います。マイさんが考える「多文化共生」の秘訣を教えてください。
マイ:私の経験から言える秘訣は、「聞くこと」です。
相手の話を聞かないと何も始まりませんし、理解も共感も生まれません。
日本では時々、バイアスのかかったニュースを目にすることがあります。
例えばコロナ禍の頃、生活に困窮したベトナム人が家畜や果物を盗むといったニュースが相次ぎました。その報道で名前が出るたびに「グエン容疑者」と報じられるんです。
私自身、同じ「グエン」として、ニュースを見るたびに怖くなりました。「日本は安全な国だけど、自分たちは『危険因子』として見られているのではないか」と。
−−同じ名前だからこそ、余計に胸が痛む話ですね。
マイ:もちろん犯罪は許されませんが、真面目に暮らしているベトナム人もたくさんいます。
一部のネガティブな情報だけで「ベトナム人はこうだ」と決めつけられてしまうと、私たちも萎縮してしまいます。
だからこそ、メディアの情報だけを鵜呑みにせず、多様な視点を持ってほしいと思います。
偏見を持たずに、まずは目の前の相手の声を聞くこと。そして尊重すること。それが多文化共生の第一歩だと思います。
−−「聞くこと」から始まる相互理解ですね。最後に、今後の目標を教えてください。
マイ:将来的には国際機関で働きたいと考えています。
そのために修士号は必須ですし、今回の大学院進学はそのステップでもあります。
ただ、卒業してすぐに国際機関へ行くのではなく、まずは日本で2年ほど働こうと思っています。
シンクタンクやコンサルティングファームなどで経験を積み、その後、博士課程へ進むことも視野に入れています。
実は最近、妹も日本に留学してきたんです。私と同じ東京外大に入学して、今は一緒に住んでいます。
妹のためにも、もう少し日本で基盤を作って頑張りたいですね。

【HYAKUYOU編集部】