
日本人の父とガーナ人の母を持つ元Jリーガー・矢野マイケルさん。
現在は作詞家、音楽家、そして社会貢献活動と、多岐にわたるフィールドで活躍しています。
前編では、ガーナでの過酷な体験や、養護施設からプロサッカー選手へと駆け上がった不屈の闘志について語っていただきました。
後編となる今回は、矢野さんの人生におけるアイデンティティの葛藤と、音楽や格闘技への挑戦、そしてAAAや2PMなど人気アーティストへの楽曲提供を行うようになるまでの道のりに迫ります。
「母がガーナの部族の女王になった」という驚きの事実や、中野区で行っている「ENGLISH SOCCER SCHOOL」への想いとは。
自身のルーツと向き合い続けた矢野さんに、これからの日本社会と子どもたちに伝えたい「多文化共生のヒント」を語っていただきました。
「ハーフのリーダー」として、自身のアイデンティティを模索した日々
−−ベン・ジョンソン氏との邂逅を経て、日本に帰って来てからの生活についてお聞きできればと思います。
矢野マイケルさん(以下、矢野):日本に戻ってからは、東京でハーフの仲間が待ってくれていました。
昔はハーフも少なかったんで、グループがあったんですよ。何十人も集まったりしてて。
自分のサッカーの試合も見に来てくれたりとか。当時、すごい励みになってました。
施設にいた頃は、自分がどうなっていいかっていうロールモデルがいなくて、この国でどうアイデンティティを確立するか悩んでました。
同じような悩みを抱えるハーフ仲間たちがいて、そいつらと力合わせて、世の中を変えていきたいっていう思いがありました。
そんな風に色んな人が自分のところに自然に集まってきて、気づいたらハーフのリーダーみたいになってたんです。
音楽への情熱。「2倍の血」を活かす──「Double Dogz Crew」の結成
−−そのグループから音楽を始められたんですよね。音楽を選んだ理由はなんだったんでしょうか?
矢野:自分はドイツにいた時、スティービー・ワンダーやホイットニー・ヒューストンを毎晩聴いてて、力をもらってたんですよ。言葉や音で人を救うことに憧れがありました。
日本に帰ってきてから、「俺、クルー作るから、本気でやりたいやつだけ、明日俺に連絡くれ」って言って。
それで、8人ぐらい集まりました。全員ハーフです。
そうして結成したのが、Double Dogz Crewっていうグループでした。
Doubleには、「ハーフ」という意味と自分たちは「2倍の血」を持ってるからそれを2倍活かそうって意味を込めました。
Dogはアメリカのヒップホップのスラングで「野郎ども」、zがついて複数の野郎どものクルーっていう感じで。
−−カッコいいですね!
矢野:すごい人気が出て、テレビのヒップホップ番組でも優勝したりしました。
ただ、その後、意見の違いなどを理由に自分はグループを抜けることになりました。
「あの有名選手」とのスパーリング、そして予期せぬ格闘家への転身
−−同じ時期に格闘技もされてたんですよね?
矢野:その話もしないとですね。
その頃に、昔の自分を知ってる友達から「お前K-1って知ってるか?」って聞かれて。
「このジムに行ったら、とある選手がいるから、そいつとスパーリングして、いい勝負できたら、多分お前いけるよ」とか言われて。
スパーリングやらされて、結構いい勝負になって、「オッケー、いいね、お前マジ強ぇよ」とか言われて。
そうしたら、知らない関西弁のおじさんが寄って来て、「マイケルさん、ワシな、ウルフルズっていうバンドの社長やねんけど、音楽のな」って。「ユーに投資したいねん」とか言われて。
それで自分の格闘家の道が始まったんです。
その流れは「K-1って知ってるか」って言ってきた友達が全部仕組んでたんですよ。
自分がスパーリングしてた人が実は、山本KIDさんだったことも後から知りました。
−−ええー!すごいですね!
矢野:そうなんですよ。
まだ音楽で食えてなかったんで、「お願いします」と伝えました。
それで、次の日から練習始めて。タイにも行きました。
当時体重80キロくらいで体脂肪率10パーセントくらいだったんですけど、減量で70キロくらいまで落とさなきゃいけなくて。
減量に苦しんだりもしましたが、出場した大会では準優勝もしました。

身体の異変による挫折と、AAA、2PMへの楽曲提供
−−格闘技の道を諦めた理由はなんだったんでしょうか?
矢野:持病が原因の体調不良で、減量時に最終的にドクターストップがかかっちゃって。
「俺の人生またこんな感じかよ」と思いました。
せっかく投資してもらったのに応えられなかったと思って。
−−実力ではない部分で、大きな壁にぶつかったんですね。残念です。そこから音楽活動に専念するようになったんでしょうか?
矢野:そうですね。
Double Dogz Crewを抜けた後は、横浜でBLENDZっていうクルーを組みました。全員黒人ハーフです。
クルー名は「混ざり合う」っていう意味から取ってます。
当時、横浜ベイスターズに161km投げる、クルーン選手っていうピッチャーがいて、そのマネージャーが自分たちのマネージャーでもあったんです。
それでクルーン選手の誕生日に「161k」って曲を作って、マネージャーに渡したら、次の日試合に呼んでくれて。
試合を見てたら、スタンドの画面に俺たちが映ってて、「あれ?なんで俺たち映ってんだ」みたいな(笑)
そしたら急に「161k」がかかって、クルーン選手がクローザーで登場して、「おー!」ってなりました。
「161k」はハピネットピクチャーズと提携してリリースもしました。その後、BLENDZも1回解散して、クルーとして、その後の曲を出すことはなかったんですが。
まあ、その後も色んなクルーやってました。
作詞作曲もやるようになって。
−−楽曲提供としての作詞作曲もされるようになったんですね!
矢野:そうですね。
AAA(トリプルエー)さんとか後藤真希さんのソロ曲とか、2PMさんとか、色んな人たちの曲を作りました。
でも、どん底の時期もあったんですよ、
家賃が払えなくて、マンションから出て行けって言われた時もあって。
印税って後から入ってくるんです。
だから、友達の家に泊めてもらったりしながら、印税が入って、やっと生活が成り立つようになりました。
その印税で貯まったお金で、2年くらい前に「B1 エンターテインメント」という事業を作りました。
音楽やってる仲間たちとか才能あるアーティストを手伝っていこうっていう事業です。
「BE ONE」地下から一つへ。次世代を支えるエンタメ事業の始動
−−B1 エンターテインメントの名称にも何か由来があるんでしょうか?
矢野:あります。
「B1」は地下1階ってことです。自分たちはアングラから始めたんで。
それから、「BE ONE(1つになる)」っていう意味も込めてます。
地下からBE ONE、一つになって、BE THE NUMBER ONE(1番になろう)っていう。
−−トリプルミーニングですね。めっちゃかっこいいです。
矢野:音作る人、映像作る人、色んな人たちで集まって世の中で起きてる問題を取り上げていきたいと思ってます。
直近では、昔のクルーの曲を3曲出すっていう約束を果たすのが目標ですね。あと1曲です。
−−いいですね。次の質問なんですが、前編でお聞きできなかったお父様とお母様の現在についてお聞かせしていただいてもいいでしょうか?
矢野:両親は離婚はしてないですけど、実は親父は3年前に亡くなったんです。
その時も色んなことを感じました。
親父が亡くなった時に、すごく心細くなったんです。
日本での生活が一番長いのに、なんか日本にいることが不安になった。
なぜか分かんないですけど。
やっぱり自分の中で、日本人の親父がいたことで、安心感を感じてたことに、初めて気づいて。
親父がいなくなって、改めて自分の弟とか息子をしっかり守っていかないとって思いましたね。
ちなみに、お母さんは今ガーナに住んでます。やっぱり日本の生活がしんどくなっちゃって。
これは信じてもらえるか分かんないですけど、ガーナにアシャンテっていう大きい部族があって、今お母さんはその中のアカン族の女王になってるんですよ。
−−女王ですか!?
矢野:弟(デイビッド)がガーナ支援のNGOの活動をしてるんですが、お母さんの協力でガーナで学校を建てたりもしています。
「心から笑えるまで」仲間と音楽に救われた30代
−−弟さんもガーナと日本の間で活躍されているんですね!矢野さんは、子どもの頃、よく喧嘩していたということですが、その流れでグレなかったのがすごいですよね。
矢野:グレても意味がないと思ってたんですよ。
別に自分は強いから、見せつける必要もないと思ってて、余裕もあったんで。
不良文化みたいなものに憧れもなかったですし。
グレてる暇もなかったです。
やっぱり「プロサッカー選手になる」っていう目標があったのはデカかったですね。
その目標を達成した時の自分が、他人から後ろ指さされないためっていう気持ちもあったかもしれません。
ちゃっかりビビってた自分もいるのかなっていう。
ただ、それら全てがいい流れになったのかなって思います。
−−矢野さん、昔はうまく笑えなかったそうですが、自然に笑えるようになったターニングポイントとかはあったんですか?
矢野:親父の影響もあって、昔から人に対して、丁寧に接したいっていう気持ちはあったんですよ。
ターニングポイントかー。
30歳過ぎてからじゃないですかね。20代も笑ってたけど、本当の笑いじゃなかったですね。
あんまり作り笑いもしなかったです。
冷めてたと思います。あまり感動もしなかったですし、すごい人が来てもすごいと思わなかったし。
いつからかは分かんないですね。
自然に年を重ねるにつれてって感じかもしれません。
−−すいません、ターニングポイントって難しいですよね。
矢野:あ、でも付き合ってた子も関係してるかもしれないですね。
「もっと笑って」とか言われてた気がします(笑)
あと、本当に一緒に笑い合える仲間ができたっていうのもあるかもしれません。
−−なるほど。
矢野:あと、やっぱり人を楽しませたいっていう気持ちは年々強くなってて。
ヒップホップやってると、やっぱり盛り上がる時もあるし、盛り上がらない時もあるんですよ。
その時に勉強になったのは、お客さんって、こっちがいかつい感じだと身構えちゃう。
だから、最初に笑わせることで心を開けるんだなってことです。
本当の意味でファンを大事にするっていうことも音楽を通じて学んだと思います。
次世代へのバトン。「ENGLISH SOCCER SCHOOL」で教えたいメンタリティ
−−ありがとうございます。現在、矢野さんは、中野区で子どもたちに英語でサッカーを教えるプロジェクト「ENGLISH SOCCER SCHOOL」にも参画されてますよね。ぜひ、そのお話もお聞きしたいです!
矢野:「ENGLISH SOCCER SCHOOL」は中野区の野方東町会が主催するボランティア事業です。
これに参加したいと思った一番の理由は、子どもたちに外国人に「ビビってほしくない」「普通に接してほしい」と思ったからです。

−−外国人を特別視するのではなく、日常の延長線上に感じてほしいということですね。
矢野:Jリーグ時代の話なんですが、チームメイトが相手チームの黒人選手を見て、「あいつマークすんの怖えよ」とか言ってた時に、殴りそうになっちゃったんですよね。
「なにプロが訳わかんねえこと言ってんだよ」と思って。
日本人は外国人の方がフィジカル強いと思ってるかもしれないですけど、そうじゃないケースもいっぱい見てきてるんで。
−−なるほど。
矢野:自分がドイツに行った時、日本人もいたんですが、そういう人たちは結構みんな普通にしてるんですよ。
「だからどうした、当たり前に同じ人間だろ」みたいなメンタルで。
ビビってるやつとビビってないやつのプレーって全く違うんですよね。
だから、夢を追いかける子どもたちが将来、海外の人たちと関わることになった時に、「俺、別に小さい時から外国人と一緒にいたし」みたいなメンタリティでいられるようになってほしいんです。
サッカーがうまくなってほしいとかの前に、みんな同じ目線で話せるようなメンタリティになってくれたらと思います。
メンタリティで言えば、失敗を恐れるようになってほしくないっていう気持ちもあります。
日本では、一回失敗したら次が難しいっていう雰囲気を感じるんで。
だから、自分も「何やってんだよ」とか言うこともあるけど、「いいよいいよ、次のチャレンジしよう」っていうのも、しっかり伝えます。
これは大人がちゃんと大人の役割をしていくことにも繋がると思います。
地域でのコミュニケーションが、非常時の支えになる
−−メンタリティの部分はとても大事ですね。
矢野:あとは、子供たちがスクールで覚えた言葉を使って、困っている外国人がいたら、助けてあげて、「自分も人のために何かいいことできたんだな」とか思ってもらえると嬉しいです。
やっぱり、外国語を遠いものだと思ってほしくないですし、楽しみながら学ぶ方が、嫌にもならないのかな。
ハーフで、親の片方が英語できても、覚えなさいってプレッシャーをかけられたり、友だちから「え、その顔で英語話せないの?」って馬鹿にされたりすると、英語そのものを嫌いになっちゃってる場合もあるんですよ。
コンプレックスが生まれる素地を、楽しみながら、無意識的に無くしていってほしいと思いますね。
−−何かを学ぶ上で楽しみながら学ぶことは大事だと思います。
矢野:それと、今は中野に住んでるんで、子どもたちには公園とかで会ったら、挨拶してほしいと思ってます。
普段、自分からも挨拶するし、結構みんな挨拶してくれるんですよ。
スクールに参加してくれた子たちとは、公園でも、たまにサッカーしてます。
日頃からコミュニケーションがあれば、何か災害があった時でも、お互いを知ってるので、うまく連携できますよね。
最近、東京だと地元意識が失われてるような気がするんですよ。東京って、みんな他所から来てるから、なんか冷めてますしね。
だからこそ、「地元の繋がり」を作りたいっていう気持ちはあります。
−−これだけ日本全国で災害が起きている中ですから、地元の連携は絶対重要になってくるとおもいます。
矢野:そうですね。
異文化を敬うこと。混ざり合う時代を生き抜く「多文化共生」のヒント
−−矢野さんの語り口や考え方は説得力がありますよね。
矢野:自分の人生経験に基づく考え方なんで、正しいかどうか分かんないですけど、今のところ、自分の中では正しいのかな。
ただ、仲間とか後輩には、「俺がおかしいと思った時は絶対言えよ」って、いつも言ってます。
目上の人だったとしても、おかしいときはおかしいって言えるような文化が広がれば、もうちょっと今より良い世の中になるんじゃないかなと思います。
−−ありがとうございます。これまでに様々なご経験をされていきた矢野さんですが、ご自身が考える多文化共生の秘訣みたいなものはありますか?
矢野:自分はガーナにいた頃は差別とか知らなかったですね。
自分と同じようなアフリカ系のハーフから、ガーナに行った時に嫌な経験をしたっていう話をいっぱい聞くんですよ。これが自分はなかったです。
運動神経が一番だったからか、ハーフの中でも肌の色が濃い方だからか、わからないですけど。
髪の毛だけが、純粋なガーナ人よりも大きいカールなんですが、逆にガーナ人はそれが好きなんですよね。
だから自分は差別的なことを言われたことも特になかったんですが、やっぱりそういうものは世の中に存在すると思います。
ガーナでも内戦があったり、部族同士の敵対関係とか、そういうのはあるんで。
アメリカの黒人の中でも肌の色が濃い薄いで差別感があるし。
−−そうですよね。
矢野:日本は今、「多文化が交わる時代」が来てると思います。
そういう時代になれば、自分たちみたいなハーフが生まれるし、他文化が入ってくる。
自分としては、うまくやってほしいと思います。
ただ、これに関しては、モハメド・アリが、「人間は他のやつらのコミュニティに入り込んで、そこを変えようとしていけないし、逆にそういうことをやらせてもダメだ」ということを言っていて。要するに、本来人種は別れて住むものだって言ってるんですよ。
それは多分、アフリカから奴隷として連れて来られたアメリカ人たちの思想でもあると思うんですけど、自分もその考え方はなんとなく分かります。
分かるんですけど、もう今この時代になって混ざり合うことは止められないから、どうするべきかって言ったら、理解し合うしかないですよね。
−−まさに「共に生きていかざるを得ない時代」だと思います。
矢野:多様な文化はいいと思うんですが、日本として、無闇に外国人を入国させるのは違うとも思っています。
日本も気をつけないといけないですよ。
自分の家がガーナで強盗に襲われたのと同じように、日本にそいつらが来て、お金がなかったら同じことしますよ。
もっと不景気になれば日本人もやるでしょうね。
そんな中だと、やっぱり個々人が自分の文化をちゃんと学んで、大事にして、他の文化も尊重できるようになればいいんじゃないかと思います。
「異文化を敬えぬ者は、まだ旅地に着くべからず」です。
これは自分が作った言葉なんですが。
−−様々な経験をされた矢野さんの言葉だからこそ響きます。
矢野:やっぱり他文化をリスペクトできない者は、他の国に行くべきじゃないって思います。
他文化っていうのは、より狭い範囲で言うと、他人も含まれると思ってて。
ただ、最近の世の中は、変に振り切りすぎなのかなって感じはしてますね。
難しい問題だと思いますが。
夢を叶えるサポート役へ。世の中を楽しくする「歯車」になりたい
−−最後にぜひ矢野さんの今後のビジョンをお聞きできればと思います。
矢野:今後のビジョンは、音楽もそうですけど、最終的にはメッセージとかを世の中に発信していく人たちのサポートをしていきたいですね。
自分の夢を叶えてくれるサポートをしてくれた人たちがいたように、やっぱり、自分だけじゃ夢を掴みきれない部分もあると思うので。
あとは、やっぱり世の中を楽しくしていきたいです。
もうちょっとでも良い世の中にできるように、自分もその歯車の1つになれたらいいなと思います。

・B1エンターテインメント
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【HYAKUYOU編集部】