
2025年の東京都議会選挙と参議院選挙。
そこに一人の「異色」の候補者がいたことを覚えているでしょうか。
「帰化人行政書士」という、あまり耳慣れない、しかし強烈なインパクトを持つ肩書きを背負った吉永藍さんです。
元中国籍であり、現在は日本国籍を持つ彼女は なぜ勝算の薄い選挙戦へと身を投じたのか。
その背景には、単なる売名や政治的野心では片付けられない、一人の人間としての切実な「生存本能」と、社会への「抗い」がありました。
選挙から半年以上が経過した現在。騒動の熱が冷め、静けさを取り戻した今、彼女は何を思うのでしょうか。
中国での生い立ちから、参院選への出馬、日本社会への鋭い洞察、現在執筆中の自伝に至るまで、その半生と哲学を語り尽くしていただきました。
「酸素」を求めて──法曹一家からの逃走
−−本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします。名刺には、「帰化人行政書士」という肩書きを使用されていますね。
吉永藍さん(以下、吉永):
ええ、そうですね。最近では皆さん、この肩書きで私を認識してくださっているようです。
一部には「帰化」という言葉に過剰に反応される方もいますが、私にとっては猫が猫であるように、あるいは犬が犬であるように、単なる事実の陳述に過ぎません。
隠す必要もなければ、卑下する必要もない。
「私は元外国人であり、今は法的に日本人である」という事実と、「行政書士である」という職業を組み合わせただけの、最も嘘のない自己紹介だと思っています。
−−吉永さんは中国のご出身ですが、どのような環境で育ったのですか?
吉永:
私は中国の法曹一家に生まれました。母は裁判官、父は弁護士という家庭です。想像できるかと思いますが、家の中がまるで「小法廷」のようなんですよ(笑)。
食卓には裁判官(母)がいて、弁護士(父)がいる。
そして私と弟は、生まれながらにして常に「被告人」の立場でした。
非常に厳格な家庭で、常に窒息しそうな感覚がありました。
権力関係が明確で、親の言うことは絶対。そんな環境で育ったおかげで、物事を論理的に考えたり、権威を疑ったりする習慣は身につきましたが、同時に生きづらさも抱えることになりました。
−−日本に来ることを決めた最大の理由は何だったのでしょうか?
吉永:
一言で言えば「酸素」を求めて、ですね。
当時の私は、中国での生活に窒息していました。親が敷いたレール──名門大学に行き、安定した職に就くこと──に対する反発もありました。
実は私、中国の瀋陽大学を卒業後、親のコネで中学校の国語教師になったんです。
でも、20代で教師になって、50代のベテラン教師たちを見た時、「ああ、私の人生の結末はこれなのか」と絶望してしまった。先が見えてしまう人生なんていらない、と。
私は当時、「ここには私の吸える酸素がない。場所を変えれば息ができるかもしれない」という、生存本能に近い衝動で日本へ逃げてきました。
アメリカを選ばなかったのは、親戚の優秀な子供たちがみんなアメリカに行っていたからです。
彼らへの対抗心から「絶対にアメリカには行かない、じゃあ他の国だ」という、若さゆえの短絡的で、ある種、自暴自棄な決断でした。
日本を選んだのは、友人が日本に行く手続きをしていたことが縁です。友人が他国に行く手続きをしていれば、日本には来ていなかったかもしれません。
−−来日後、すぐに行政書士を目指したわけではないのですね。
吉永:
全く違います。むしろ偶然の産物です。
来日当初は日本語学校に通いましたが、そこで教師の質の低さに抗議してクラス全員を率いてボイコット(授業放棄)を起こしました。
元教師だった私には耐えられなかったんです。
すると学校側から「ビザを更新させない」という命綱を握った脅迫を受けました。
私はその対抗手段として、当時付き合っていた彼と結婚して配偶者ビザを得ることで、学校に依存しない立場を確保したんです。それが最初の「戦い」でした。
その後も、私の人生は「自分探し」という名のアレルギー反応の連続でした。
保守的な地方都市での生活に馴染めず、一度は中国(深セン)へ帰りましたが、そこでもまた制度やパスポートによる差別に直面し、激しい拒絶反応が起きました。
日本にいても中国にいても息が詰まる。「このアレルギーを治すには『脱感作』療法しかない、つまり国籍そのものを変えるしかない」と決意して再来日したのが、大きな転機です。
その手続きのために行政書士を探したのが、今の仕事に出会うきっかけです。
この業界に入って気づいたのは、これが私の天職だということです。
私は生まれつき「疑う」性格、いわば社会に対して迎合しない「反骨心」を持っています。
多くの行政書士がお上の言うことを鵜呑みにし、「役所の使い走り」になりがちな中で、私は権威を疑い、依頼者の権利を徹底的に守ろうとする。それが私のスタイルになりました。

組織の中で感じた「民主主義」の冷酷な現実
−−順調にキャリアを積んでいたように見えますが、なぜ政治の世界、特に選挙に関わるようになったのですか?
吉永:
きっかけは、私が所属する業界団体、行政書士会の内部事情です。
最初は周囲とも上手くやっていたんです。
ところがある日、内部で立場の悪かった人のために発言したところ、一気に空気が変わってしまいました。
自分が支部長になって状況を変えようと考えたのですが、いざ支部長になってみると今度は別の権力に裏切られました。
そこで、中国を出る時と同様、民主主義と法治社会の公平性と酸素を求めて、会長職を目指すことにしたんです。
推薦人を集めるのにも相当苦労しましたし、やっと集めた書類を理不尽に受理しないと言われた時は、裁判でも何でもやってやろうという心境でした。
−−何があったのですか?
吉永:
私の立候補届が、受理されなかったのです。理由は「届出用紙に記載した電話番号の形式が違う」という、極めて些細で、しかも規定にも存在しない言いがかりのようなものでした。
立候補の受付期間はたったの3日間。
私はその間に必死で推薦人を集め、書類を整えて提出しました。
しかし、選挙管理委員長たちは私の立候補を阻むために、理不尽な理由をつけて突き返したのです。
抗議しても、権力を持っている側が「受理しない」と言えば、それで終わり。問答無用で門前払いされました。
−−それは法的には問題ないのでしょうか?
吉永:
私はこれを不服として裁判を起こしました。そして2年以上を費やして戦い、2025年3月の一審判決で、ようやく私の主張が認められました。「立候補の不受理は違法である」と。
この判決が出た日は、私が行政書士として登録した日からちょうど21年目の記念日でした。ドラマのような巡り合わせを感じましたね。
しかし、相手側は判決が出ても反省するどころか、控訴して時間稼ぎに出ました。
そして、裁判が続いている間に役員の任期が満了し、新しい選挙が行われてしまいました。
彼らは組織票を使って再選され、私はまたしても蚊帳の外に置かれました。
私はここで、「民主主義」の冷酷な現実を目の当たりにしました。
民主主義とは、突き詰めれば「数の暴力」とも言えます。
閉じた組織の中で多数派工作をされたら、正義や法理なんて簡単に踏み潰されてしまいます。
−−それが、公職選挙(都議会議員選挙、参議院選挙)への出馬に繋がるわけですね。
吉永:
そうです。業界団体という小さな世界でさえ、正当な手続きが通用せず、私の存在自体が抹殺されようとしていました。
逃げ場がなくなり、精神的にも追い詰められた私は、さらなる民主主義と法治国家の公平性を求めて、いわば追いやられるような心境で、公職選挙への出馬を決意しました。
これは売名でも何でもなく、社会的に「死」を宣告されそうな状況下で、唯一残された「抵抗」の手段だったのです。
「私はここにいる。不当な扱いを受けている」と世の中に叫ぶためには、選挙という公の場に立つしかありませんでした。
−−吉永さんの出馬に対するメディアの反応はどうでしたか?
吉永:
失望しました。取材の依頼も来ましたが、彼らが関心を持ったのは、私が訴えたい組織の腐敗や法の不備といった本質的な問題ではありませんでした。
彼らはただ、「変わった候補者」「特異なキャラクター」として、私を面白おかしく消費しようとしただけです。
「帰化人が選挙に出るなんて、どんな人なのか」という好奇の目で見られるだけで、真剣な議論にはなりませんでした。
それでも、私は戦うしかなかった。
戦わなければ、私は自分自身を否定することになり、魂が死んでしまうからです。

現代日本社会の「貧困」と思考停止
−−選挙戦を通じて、あるいは日々の業務を通じて、現在の日本社会をどのように見ていますか?
吉永:
一言で言えば、「貧しくなったな」と感じます。経済的な指標だけでなく、日本人の「心」が貧しくなってしまった。
30年前、バブル崩壊後とはいえ、日本にはまだ余裕がありました。
「衣食足りて礼節を知る」の言葉通り、経済的な余裕が精神的な寛容さを生んでいたのです。しかし今は違います。
長引く不況と、隣国・中国の急速な経済発展による逆転現象。これが日本人のプライドを傷つけ、焦りと嫉妬を生んでいます。
その結果、社会全体が非常に不寛容で、攻撃的になっています。
ネット上では誹謗中傷が溢れ、特定の対象―例えば私たちのような帰化人や外国人―を叩くことで溜飲を下げようとする風潮が強まっています。
−−排外的な動きも強まっていると感じますか?
吉永:
感じますね。例えば、昨今の選挙で一部の候補者が熱狂的に支持される現象を見てください。
彼らの主張は単純で、「強い日本を取り戻す」「敵を排除する」といった耳触りの良いスローガンばかりです。
しかし、それを支持している一般の人々は、自分たちが置かれている状況を客観的に見ようとしていません。
例えば私の友人たちの仕事は、中国市場との取引で成り立っています。
それなのに、彼女たちは中国に対して強硬な姿勢をとる首相を盲目的に支持し、「私たちの生活が苦しくなったのは、首相の発言のせいではなく、それを質問した野党の国会議員のせいだ」などと言うのです。
自分たちが経済制裁の余波でボーナスを減らされ、生活が脅かされているのに、その原因を作った拳を振り上げた人物を崇拝する。これは一種の思考停止です。
−−一方で、最近では「多文化共生」という言葉もよく使われますが、これについてはどうお考えですか?
吉永:
正直に言えば、現在の状況下で「多文化共生」などという言葉は、偽善的なスローガンに過ぎないと思います。いわゆる「偽の命題」です。
共生というのは、互いにリスペクトし合える対等な関係、あるいは強者が弱者を包容できる余裕があって初めて成立します。今の日本は、余裕を失った日本人が、力をつけた外国人に対して脅威を感じている状態です。「両虎相闘う」とでも言うべき摩擦の段階にあります。
私はよく「移民政策は家の鍵のようなものだ」と説明します。
日本という家において、誰に玄関の鍵を開けるか、誰を招き入れるかは、家主である日本人が決める権利です。
その前提として、国家は、外国人政策が国益と合致するか否かを判断する能力を持つべきです。また、それに加えて、政府が法を守るというのは、法治国家の基礎であり、信頼の源泉です。
そのため、「外国人との共生」というのは、あくまで国益を考えた上で導き出される結果論です。
しかし、今の日本政府は、法治国家として、定めた法に基づいて外国人を扱うべきにも関わらず、都合が悪くなると恣意的にルールを運用したり、法を無視したりしています。
−−非常に厳しい指摘です。
吉永:
私は日本という国が好きですし、日本の文化も人々も愛しています。
この国が誤った方向に進み、沈んでいくのを見過ごせないのです。
今起きているのは「自然淘汰」です。適応できない者は生き残れない。
日本社会は今、老人や弱者を切り捨てようとする「現代の姥捨山」になりつつあるとも感じます。
外国人は、日本という船に乗ってはいますが、船が沈む時に一緒に心中する義務はありません。
しかし私は日本人です。沈むなら一緒に沈む運命です。だからこそ、私には船の修繕の義務があると思っています。

「毒」を自覚し、記録者として生きる
−−激動の半生を経て、吉永さんの心境に変化はありましたか?
吉永:
大きく変わりましたね。
私自身はこれまで不器用に生きてきましたが、国家を率いているのは常に「賢者」だと思っていました。しかし、今はその認識が少し変わったように思います。
愚かな人が多数になれば、その「数」が恐怖につながり、賢者は表舞台から退出していくのかもしれません。
−−今後はどのような活動を?
吉永:
現実的な話をすると、私は自分が政治家になって、世界を劇的に変えることは難しいと思っています。
今の私にできることは「記録する」ことです。
現在、自伝を執筆しています。
タイトルは『私の名は…──あいを殺す手引き』です。
私の名前も「藍(あい)」ですし、感情の「愛」でもあります。あるいはアイデンティティ(Identity)の「I(アイ)」でもあります。
自伝では、今日話しきれなかった、私の半生から人生哲学、行政書士としてのエピソード、日本での選挙の話まで詳しく書いています。出版された際は、ぜひみなさんにお手に取ってもらいたいです。
−−本日お聞きした話は自伝でもっと詳しく語られることになりそうですね。楽しみです。最後に、読者にメッセージをお願いします。
吉永:
人間は誰しも「毒」を持っています。
私にもあるし、あなたにもある。私を攻撃してきた人たちにもある。
重要なのは、自分が毒を持っていると自覚することです。
自覚して初めて、人はその毒を無闇に撒き散らさないように制御できる。
それが、人間が善に向かう唯一の道だと信じています。
また、行政法の最終目的は権力を制限し、行政に法を守らせ、最終的に国民の利益を保護することです。
本来、国家権力、行政を監視するのは全国民の役割ですが、残念ながら、多くの国民にはその認識がありません。
一方で、私は行政書士である以上、その責務を自認しています。権力から私に対する拒絶反応が起きるのは、権力側が監視されることに免疫がないからです。
私が書き残す言葉や記録が、今すぐには理解されなくても、いつか長い歴史の中で、誰かがこの時代の日本を知り、未来に繋げるための道標になればいい。
そう願って、私はこれからも書き続け、発信し続けます。
私たちが生きている間、せめて戦争だけは起きないように。
そして、子供たちが理不尽なシステムに殺されないように。それが、一人の母親として、一人の人間としての、ささやかながら切実な願いです。

吉永藍さん
instagram:https://www.instagram.com/aiaiyoshinaga/
吉永さんが代表を務める「ブレイン国際行政書士事務所」
HP:https://www.yoshinagaoffice.com/
(取材・文/劉聰/在日中国人ライター。日本外国特派員協会(FCCJ)会員)