
北欧のバルト三国の一つであり、IT先進国としても知られるエストニア。
そのエストニアから日本へ渡り、現在ハードウェアエンジニアとして第一線で活躍しているのが、レバネ・カドリさんです。
大学時代の交換留学で日本のモノづくりやアートに魅了されて以来、日本での暮らしは今年で15年目。今では仕事にとどまらず、ウィンドサーフィンやタンゴなど多彩な趣味をパワフルに謳歌されています。
今回のインタビューでは、そんなカドリさんが日本に来たきっかけや、エストニアと日本の「文化や働き方の違い」について深掘り。
さらに、「多文化共生」について、外国人として日本で暮らす中で見えてきたリアルな視点からお話しいただきました。
苗字は「キツネ」!来日15年目のハードウェアエンジニア
--本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いできますか?
レバネ・カドリさん(以下、カドリ):
私はレバネ・カドリです。
日本では大体、下の名前の「カドリ」と呼ばれています。
日本には「カトリ」という苗字があるので、少しだけ変わって皆さんが呼びやすく、覚えやすいみたいですね。
職場でも苗字ではなく名前で呼ばれています。
逆に「レバネ」と呼ばれると「うーん?」と少し違和感があります。
初めて会う人とは大体、趣味の場で会うので、趣味の話から自己紹介が始まります。
--「レバネ」という苗字には、エストニア語で動物の意味があるのだとか?
カドリ:
「キツネ」という意味です。
エストニアでは動物の名前の苗字が多くて、狼や熊などもあります。
「猫」という意味の苗字もあって、少し年上のオスの猫の種類を指す名前など色々あります。
世界的に知られているエストニア出身のモデルに「カルメン・カス(Carmen Kass)」という人がいますが、彼女の苗字も猫という意味です。
ちなみに、エストニア語では「C」の文字をあまり使わないので、彼女のカルメンがCから始まるのは珍しいですね。
私のカドリ(Kadri)も「K」を使います。
--日本に来られてどれくらいになりますか?また、現在のお仕事について教えてください!
カドリ:
今年で15年目になります。
仕事はハードウェア開発のエンジニアです。
電気回路の開発をして、プロトタイプを作ってテストしたり、直したいところや機能を追加する仕事をしています。
あとは箱の設計図を描いて他社に作ってもらったり、PCの電気回路ボードを作ってもらったり、ケーブルの準備など、全体的なモノづくりに関わっています。
最初のプロトタイプは全部自分で手作りして、必要数が増えたら他社とデータをやり取りします。
--差し支えなければ、具体的にはどのようなものを作られているのですか?
カドリ:
コンピューターとセンサーがあって、その間を繋ぐようなコンピューターの小さな部品などです。
ハードディスクやSSDのような大きなものというより、一番下のレベルのメモリチップ、たとえばキロバイト単位の小さなものを扱います。
いわゆる「低レベルの組み込み向けメモリチップ」です。
どのチップが必要かを選んだり、箱作りも少しやったりと、専門的に深くというよりは、広く色々なことができるスタンスでやっています。

アートとDIYに魅了された留学生活。かつお節が躍る「お好み焼き」に感動!
--もともと日本に来られたきっかけは何だったのでしょうか?
カドリ:
交換留学で最初に来たのが22歳の時で、その後24歳の時に今度は修士課程に進学するために来日しました。
最初の交換留学では、日本の大学で研究室に入り、みんなでプロジェクトを進めていくのがすごく楽しかったです。
日本のアーティスト・児玉幸子さんの研究室でした。
--児玉さんといえば、磁性流体(フェロフルイド)アートで有名ですね。
カドリ:
そうです。
フェロフルイドを電気でコントロールして、突き出したり流れたりするアート作品を見てすごいと思いました。
「重力の庭」という作品などですね。
私はもともとDIYやモノづくりが大好きだったので、こういうことができるのはすごいと思い、自分でもやりたいと思って半年間研究室に入りました。
--ご家族もDIYが好きな環境だったそうですね。
カドリ:
はい、家族全員がDIYをやっていて、家のリノベーションを両親が自分でやったり、両方の祖父も得意で、祖母も編み物をしていました。小さい頃には編み方も教えてもらった記憶もあります。
また、子どもの頃からペンキ塗りを手伝ったりしていて、モノづくりが身近にある環境でした。
高校では理科や数学といった理系科目が得意でした。
--交換留学の行き先に日本を選んだ理由は何だったのでしょうか?
カドリ:
高校生時代から留学したいと考えていました。
大学の時にエラスムス・プラス※のプログラムのインフォメーションセッションに行ったのですが、なんとなく合わないと感じて。
その後、国際交流センターの看板で韓国と日本への留学プログラムを見つけました。
当時は日本にも韓国にも何のイメージもなかったのですが、日本のプログラムには奨学金があったので、現実的な理由で日本を選びました。
※エラスムス・プラス(Erasmus+):
欧州連合(EU)が提供する世界最大規模の教育助成プログラムで、EU内外の学生がヨーロッパの大学へ3~12ヶ月間の短期留学、または修士課程(Erasmus Mundus)に参加できる制度。
--再び日本に戻ってくるための奨学金も苦労して取られたとか。
カドリ:
文部科学省の奨学金に応募しました。
当時のエストニアでは日本専攻の学生が奨学金でしたが、私は彼らと一緒に試験を受けました。
日本語専攻の学生に比べると当時の私の日本語力はそこまで高くありませんでしたが、ある程度はできました。
それまでに、1年間日本に留学した経験があり、エストニアに戻ってからも日本語の授業を続けていたからです。
もちろん、日本語能力試験は選考の一部で、面接等も通じて、総合的に判断される試験で、最終的には2人選ばれたうちの1人として奨学金をもらえることになりました。
--10年以上前と今で、エストニアでの日本に対する印象は変わったと思いますか?
カドリ:
全然違うと思います。
私が子どもの頃は、エストニアで日本のアニメはそれほど普及していませんでしたが、今はサブカルチャー好きな人も増えました。
日本食も、寿司だけでなくお茶なども有名になって、エストニア国内の日本食レストランのクオリティも上がっています。
以前より日本のことを知る人も増えたと思います。
最近、エストニアで日本への関心が高まっている理由としては、日本を紹介するテレビ番組が増えたことや、円安によって日本旅行が以前より手頃になったこと、日本の自然・文化・食べ物がエストニア人にとって魅力的であることなどがあると思います。
そのため、日本を訪れるエストニア人も増えています。
10年以上前から、ビザなし渡航もできますしね。
また、若い世代にとっては、ワーキングホリデービザで日本に来られるようになり、日本をより身近に体験できるようになりました。
--日本に来て驚いたことや感動したことはありましたか?
カドリ:
実は日本の前に、アメリカのアラバマ、フロリダ、ジョージアでワーキングホリデーをしたことがありました。
アメリカの田舎は車社会で、遊ぶ場所もモールしかなく、ファストフードばかりでしたが、日本の東京は何でもあって本当に便利です。
海も山も雪もあるし、一人で安全に旅行ができます。
食べ物もアメリカよりも日本の方が体に合っていて、特に「お好み焼き」には感動しました。
野菜も肉も入っていて、上でかつお節が踊っていて、こんな食べ物があるのかとびっくりしました。

大人になっても挑戦できる日本。人間関係の築き方には違いも
--日本とエストニアの違いについてはいかがでしょうか??
カドリ:
エストニアは東京に比べると田舎です。
エストニアに「もっとあったらいいな」と思うのは、大人が新しいことを勉強できる環境ですね。
日本では大人向けにギター、ダンス、ウィンドサーフィンなど、初心者大歓迎の教室がたくさんありますよね。
エストニアはソ連時代の名残もあってか、「才能がないならやめたほうがいい」という考え方が強く、芸術分野などへのハードルが高いと感じます。
でも私は、才能がなくても練習すれば自分のために楽しめると考えているので、今は趣味としてクラシックギターやタンゴを楽しんでいます。
--人間関係などの面ではいかがですか?
カドリ:
エストニアはコミュニティが小さく、隣人とも友達になって一緒にご飯を食べたりと、深い関係を作りやすい環境だと思います。
一方で日本は「仕事が第一」といった印象で、残業も多いですし、東京に住んでいても友達と会うのに1時間かかったりして、平日の夜などはなかなか会えません。
そういう意味で、日本は少し寂しい部分があり、外国人にとっては人間関係がわかりにくく、難しいと感じるかもしれませんね。
リクルートスーツは着ない? コミュニティでの繋がりがキャリアを開く
--日本で就職を決めたきっかけはなんだったんでしょうか?
カドリ:
エストニアでは、理系の学生は大学在学中から仕事を始めてお金を稼ぎ、そのまま卒業しない人も多いんです。
そのため、博士課程を卒業したといえ、エストニアでの業務未経験の私が、エストニアに戻って就職活動するのは難しいと感じていたので、日本での就職を選択しました。
とはいえ、実は私も日本では学生時代からエンジニアとして会社で働いていました。
一般的なフルタイム勤務よりは勤務量が少なく、スケジュールも柔軟でしたが、アルバイトというよりは、実際のエンジニア業務に近い形です。
最初に勤務した会社にはビザのスポンサーにもなっていただき、当時は就労ビザで働いていました。
--日本での就職活動はどのようにされたのですか?日本特有の「リクルートスーツで合同説明会」のような経験はされましたか?
カドリ:
私の場合、日本での就職活動はリクルートスーツを着て説明会に行くようなことは一切しませんでした。
まず、私が仕事を探していることを、エストニア人コミュニティを含め、周囲の色々な人に伝えました。
その中で、知り合いの中にリクルーターをしている人がいることが分かり、エンジニア分野を担当している同僚の方を紹介していただいたんです。
また、転職経験のある知人からは、履歴書や面接についてアドバイスをもらったり、実際に利用したリクルーターを紹介してもらったりもしました。
結果的に、最初に入社した会社はエストニア人コミュニティ経由で知った会社でした。
また、2回目の転職時も知人経由で会社を紹介していただきました。
--エストニア人のコミュニティは結束が固いんですね!
カドリ:
そうですね。日本全国に100~120人くらい、首都圏には50~60人くらいのエストニア人がいます。
私のようなエンジニアだけでなく、音楽活動や営業職をやっている人など、様々な属性の面白い人がたくさんいますよ。
SNSのグループや在日エストニア大使館経由で知り合い、クリスマスなどの節目には、約30人ほどで集まって、ホームパーティーをするなどしています。
エストニア人のコミュニティに参加することは、日本で母語(エストニア語)を話せる貴重な機会です。
エストニア料理の店が日本にはないので、自分たちで作った料理を持ち寄るなどもしています。

ルールの壁と曖昧な表現。日本で働く中で戸惑ったこと
--長く日本で暮らす中で、日本社会の「壁」を感じたエピソードはありますか?
カドリ:
生活面では、一人で病院に行ったり引っ越しをしたりと何でもできますが、文化的な壁を感じたことはあります。
大学生の時、イベントスタッフののアルバイトに応募したんです。
髪色を書く欄があり、私の髪は自然な明るい色なので「その他」と答えたら、スタッフから、「ルール上、『その他』の髪色の人はチケットチェックなどお客様の前に出る仕事はできず、ステージを作る裏方の力仕事しかできない」と言われました。
地毛であっても「ルールはルールだから」と言葉通りに解釈されてしまい、少し戸惑ったことを覚えています。
--エンジニアとして働く職場環境での文化の違いはどうですか?
カドリ:
エストニア人は「早くやりましょう」「ここを変更しましょう」といった風に決裁も早く、言い方も直接的ですが、日本人は関係各所に説明をして回ったり、断るときに「ちょっと難しいかもしれません」という曖昧な言い回しをよく使いますよね。
最初はそれが「できない」という意味だと分からず戸惑いました。
「言葉通りに捉えたらどっちなの?」と。
また、日本人のエンジニアはコミュニケーションがあまり好きでない人が多い印象です。
もちろん人によりますが。
職場でのコミュニケーションが多くないため、同じオフィスで何年も働いていても、名前と顔が一致しない人がいたりします。
エストニアの職場なら、もっと様々な人が賑やかに話していると思います。
エストニアの「多文化共生」の現在地と、インテグレーションの課題
--ここからは、当メディアのテーマでもある「多文化共生」についてもお聞きしたいのですが、エストニアにおける多様性や共生の現状はどのような感じなのでしょうか?
カドリ:
エストニアは寒いですし、言葉も難しく、外国人向けの社会的な支援も充実しているとは言えないので、スウェーデンやドイツと比べると外国人のコミュニティ自体が少ないと思います。
ちなみに、最近はウクライナから多くの人が避難してきていますが、彼らは文化や食べ物がエストニアと近く、一生懸命にエストニア語を勉強して仕事を探しているので、とても良いイメージを持たれています。
一方で、エストニアが抱える大きな社会課題は、ソ連時代から住んでいる「ロシア系住民」とのインテグレーション(統合)かもしれません。
複雑な歴史的・社会的背景を持つインテグレーションの課題です。
--具体的にはどのような課題なのですか?
カドリ:
例えば、ロシア系住民の方の中には、エストニアに60年、70年と住んでいても、エストニアの国籍を取得しておらず、エストニア語を話せない人がたくさんいます。
もちろん、ロシア語が日常的に広く使われている地域はありますが、ロシア語だけでは公共サービス等の面で不便なこともあると思います。
この問題はソ連時代の移住政策や、エストニア語コミュニティとロシア語コミュニティが長年分かれて存在してきた歴史的背景と深く関係しています。
独立から30年以上経っても、このインテグレーションはあまり進んでいない印象です。
私が子どもの頃はエストニア語の学校とロシア語の学校が分かれていましたが、最近になって、政府の政策として、「すべての学校でエストニア語を使う」という方向で、インテグレーションが進むなどしています。
とはいえ、まだ道半ばだと思います。
共に生きるために必要なのは、他者の視点に立つ「柔軟性」
--それは大きな課題ですね。一方で、カドリさんとしては、社会において異なる文化や背景を持つ人々が共に生きていく上で、何が必要だと思いますか?
カドリ:
一番はやはり「コミュニケーション」だと思います。
これは外国人と日本人の間だけではなく、日本人と日本人の間でも同じことが言えます。
「自分が何を考えていて、それをどうやって相手に伝えるか」、そして「自分の視点だけでなく、相手の視点に立とうとする姿勢」が絶対に必要です。
「私はこう思っているけれど、あの人は違うバックグラウンドがあるから別の視点で見ているんだな。それも普通のことだよね」と受け入れることが大事ではないでしょうか。
--国や自治体の「システム」や「制度」の変革についてはどう思いますか?
カドリ:
システムを新しく作ってトップダウンで解決するというのは、実はすごく難しいことだと思います。
ルール化するだけでは根本的な解決にならないのではないでしょうか。
難しいですが、結局は、個人個人の「アティチュード(態度)」にかかっていると思います。
自分がどこまで柔軟になれるか、どこまで心を開けるか。頭が硬いとそこから先へは進めません。
「変化を受け入れること」、そして「他の人の視点に立つ柔軟性」こそが、異なる文化や背景を持つ人々がこれから共に生きる上で、大事になってくると思います。
日本での挑戦は続く。将来はエストニアで「技術のインパクト」を伝える存在へ
--ありがとうございます。最後に、カドリさんのこれからの目標やビジョンを教えてください!
カドリ:
日本は本当に楽しいので、まだまだいろいろ試して楽しみたいです。
来週もウィンドサーフィンを予約していますし、趣味のタンゴやクラシックギターもまだまだ初心者なのでレベルアップさせていきたいです。
旅行も、有名なところは行きましたが、日本は広いので、青森、秋田、鳥取の砂丘、島根、山口など、まだ行ったことのない県にたくさん行きたいですね。
--将来的にエストニアに帰国されるお考えもありますか?
カドリ:
考えています。
今はお金を貯めるための投資などもしていますが、いつかエストニアに帰った時、フルタイムではなくパートタイムで大学の教員になりたいという夢があります。
若い人たちに自分の知識をシェアしたいんです。
教えるのはテクノロジーの技術そのものだけでなく、「その技術が社会にどんなインパクトを与えるのか」「どうやって技術をデザインするのか」といった考え方の部分です。
エンジニアだけでなく様々な人にそういう視点を持ってほしいですね。
--本日は貴重なお話をありがとうございました!

アーティスト・児玉幸子さん
HP:https://www.sachikokodama.com
【HYAKUYOU編集部】