多文化共生古民家コミュニティ「中野秘密基地」代表・山本真梨子さん
「多文化が共生していることが当たり前の社会になってほしい」

2025.06.03

(山本真梨子さん)

東京都中野区。
多様な文化が交錯するこの街に、年齢、性別、国籍、身分などを超えて、多様な人々がゆるくつながることを目的とした古民家コミュニティ「中野秘密基地」はあります。

運営しているのは、「世界と中野をつなぐ」をテーマに活動する山本真梨子さん
バックパッカーとして世界を放浪した経験や18年間のゲストハウス経営等を経て、「中野秘密基地」の設立に至りました。

山本さんの会社が借りる3つの古民家のうち、2つはシェアハウスとして運営され、国籍問わず様々な人が入居しています。
そして、戦後まもなく建てられた、もう一つの古民家が「中野秘密基地」です。
「中野秘密基地」では、毎月第4日曜日に開催されている多文化共生こども食堂「たぬどん食堂」をはじめ、様々なイベントが開催されています。

また、山本さんは、「エスニックマップ実行委員会」発起人として、中野区の外国人の方々が経営する飲食店24店舗を、店主の人柄も交えて紹介した「中野区エスニックマップ」を制作。今年3月に無料配布も始まりました。
中野区役所、中野ブロードウェイ、中野区国際交流協会のほか掲載店などに置かれています。

「一般社団法人 中野区観光協会」の理事やフォトグラファーとしても活躍する山本さんに、「中野秘密基地」の設立に至った背景や山本さんの考える共生についてお聞きしました。

 

−−本日はよろしくお願いします。最初に山本さんの略歴についてお伺いしてもいいですか?

私は愛知県豊橋市出身です。
高校を卒業後、ワーキングホリデーを利用して、1年間のビザで単身オーストラリア・シドニーに渡りました。
当時は、何となく海外に住みたいと思っての決断でしたが、今思えば、日本の環境が合ってないと思っていたんでしょうね。

ワーキングホリデーを終えた後は、シドニーから名古屋空港までの間に、ストップオーバーでニュージーランド、インドネシア、シンガポール、タイ、香港、台湾に行ける1年オープンのチケットを購入し、旅することにしました。当時は1年オープンのチケットも安かったので。
その流れでバックパッカーになりました。

それが1997年のことです。
当時、アジア通貨危機とインドネシアの火山噴火で、日本人にとって周辺地域の旅費や滞在費が相対的に安くなっていたことから、日本人バックパッカーはお金がなくても、長く旅行でき、とても恵まれた環境でした。

その後、2002年に日本でゲストハウスを始めるまで、バックパッカーとして、日本と海外を行ったり来たりしていました。
これまで訪問した国は、バックパッカーとして訪れた国を含めて50カ国以上です。

 

−−ゲストハウスを始めた理由は何だったんでしょうか?

当時、バックパッカー仲間たちと「日本に帰ったら何をするか」といったことを話す中で、自分たちにできることの一つとして、よく雑談で話していたのが、宿の経営でした

自分が旅をしていた時に出会ったバックパッカーたちに、日本にも遊びに来てよ、と言っても、日本は高いから行けないと言われる時代でした。

そう言われて、安い宿があれば日本に来てくれるのかな、と安易に考えたんです。

そんな中、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起きたり、取材記事を寄稿していたバックパッカー向けの雑誌が廃刊になるなどして、いよいよ帰国して何をしようか本格的に考えるようになりました。

それで日本に帰国して、半年後の2002年4月にゲストハウスの1店舗目「やどやゲストハウス」を中野にオープンしました。

当時、荻窪に住んでいて、中央線沿いで物件を探していたところ、偶然、中野で良い物件を見つけたことが中野でゲストハウスを始めた理由です。

 

−−帰国してすぐに、ゲストハウス事業を始められたんですね!

はじめはゲストハウスに私も一緒に住んでいました。毎晩のようにゲストが訪ねてきて、楽しい話もするんですが、かなり重い相談もたくさん受けたりして、だんだんと気持ちがつかれてしまいました。

このままではまずいと思って、1年後には自分は別の場所に住んで運営をするようになりました。それでも、ゲストが夜逃げする事件や、毎日寄せられる小さなクレームなど、儲からない上に大変過ぎて、はじめは旅の延長で楽しい日々だったのに、もう続けられないかもしれないと思うようになりました。

続けるか辞めるかは少し悩みましたが、最終的に継続をすることを選びました。
ゲストハウスを続けるためには、きちんとビジネスとしていくことが重要だと考え、その時にタイミングよく仲間にも恵まれて事業を少しずつ大きくしていきました。その後はスタッフも雇いながら18年間ゲストハウスを続けることができました。

 

−−ゲストハウス事業から撤退したきっかけは何だったんでしょうか?

年々、訪日客が増え、それに伴って、ゲストハウス事業を始める企業も増える中で、競争が厳しくなっていたことから、どこか引き際を考えるようになっていました。
また、私たちのような「バックパッカー文化」としてではなく、完全なビジネス目的のゲストハウスが増えていく時代に、どこかつまらなさも感じていました。

そうしたところ、2020年1月、まだ新型コロナが日本でそれほど話題になる前でしたが、ヨーロッパ発の中国経由の便が飛ばなくなって、宿泊キャンセルが続出したんです。
バックパッカーは安い便を使うので、当時は中国経由がほとんどでした。

かねてから抱えていたモヤモヤと、このままでは、うちのような体力のないゲストハウスはもたないと考えたことから、2020年3月には撤退準備を始めて、5月末に閉店しました。

決断が早かったことで、結果的に傷も浅く済み、コロナ禍は良い転機になったとも思っています。

 

−−その後、「中野秘密基地」を設立されたんですね!

そうです。コロナ禍だったこともあり、まずは、3つ借りている古民家のひとつを改装して、日本人向けのシェアハウスとしてリニューアルオープンしました。

「中野秘密基地」として、多文化共生コミュニティを作っていこうと思ったのは、地域住民の方とのコミュニケーションがきっかけです。

シェアハウスや「中野秘密基地」をDIYで改装する中で、地域住民の方と話す機会も増えました。
交流を通じて、私が知らないところで、シェアハウスに滞在しているゲストの面倒を見てくれているおばあちゃんたちがいたことも知りました。

これまでは、ゲストハウスを拠点に旅行者を通じて、世界と中野を繋いでいるつもりでしたが、地域の方との交流の中で、それまで勝手に広い世界とつながっていると思い込んでいい気になっていた自分が恥ずかしくて、それからはローカルも含めて「中野と世界をつなぐ」ことができたらいいと考えるようになりました。

 

−−具体的にはどのようなことを始められたんですか?

やどやゲストハウス時代に、毎週火曜日に旅行者と地域の人が誰でも参加できる「ワンコインデイナーイベント」を、東日本大震災のあと10年間休まずに開催しました。そのイベントでは一緒にごはんを食べるだけで、みんなが仲良くなれるということを実感していました。

その時の経験があって、地域の人たちにもたくさん来てもらえる場所を作りたいと思って始めたのが、現在も月に1回開催している「たぬどん食堂」です。

「たぬどん食堂」は、多文化共生をテーマにした、国籍、年齢、性別、身分を問わず、誰でも参加できるイベントです。

当時、オンラインだけで学士が取れるBBT大学という大学に社会人学生として通っていて、その卒業研究のテーマで「中野秘密基地」をどのようなコミュニティにするのか、また活動をしていくのかと、ゼミを通じて研究をしていました。

その時に様々な人たちの意見を聞き「たぬどん食堂」の構想ができました。
古民家の改装を手伝ってくれていた友人のさとみさんが一緒にやるよと言ってくれて、2023年1月に実験的にスタート。
掲示板にチラシを貼るだけの告知でしたが、40人以上ものたくさんの人たちが集ってくれて、必要とされていることがわかり継続を決めました。現在もさとみさんが中心となって継続できて、3年目を迎えています。

 

−−「中野秘密基地」という名称はどのように考えたんでしょうか?

古民家の改装中、自分のFacebook投稿で、改装の様子を「今日の秘密基地」みたいな形でアップしていたんです。
みんなが「秘密基地」と呼ぶようになって、じゃあ秘密基地でいいかってなりました。

 

−−中野秘密基地というコミュニティを運営する中で、気をつけていることはありますか?

私は大学在学中、「『中野秘密基地』をどうするか」というテーマでコミュニティに関する卒論を書きました。

卒論を書くにあたって、様々なコミュニティをリサーチしましたが、私が魅力的だと感じるコミュニティは集まる人たちが自然と雰囲気を作り出す場所でした。

なので、自分がどうしたい、ということは強くなくて、集まってくれる人たちが安心してゆるやかにつながって、自然と生まれる場の空気を大事にしたいと思っています。

 

−−今年、山本さんが発行された「中野区エスニックマップ」についても教えてください!

「中野区エスニックマップ」も、2023年に卒業した大学の卒論から生まれたアイディアです。
卒論の研究の中で、中野区のアンケート調査を調べていたところ、約85%の人たちが、外国人と接点があまりない、または全くない、と答えていました。
今では中野区は7%以上が外国人なのに、これには驚きました。
もっと外国の人たちと日本の人たちの接点を増やしたいというのが目的で、主旨に賛同してくれた仲間と一緒に中野区エスニックマップ実行委員会を立ち上げ、1年以上をかけて完成させました。
単純な店舗紹介ではなく、店主やスタッフの人柄が伝わる内容を目指しました。

私は「多文化共生」という言葉を使うことがあまり好きではありません。
本来はそのような言葉を使わなくても自然と地域で一緒に支えながら暮らしているというのがいいなと思います。
私が子どものころ、おばあちゃんの家にはいろいろな人たちが出入りしていました。
あの世界感が理想だなと思っています。
現実はなかなか難しいので、今は多文化共生という言葉を使って活動をしていますが、もっと気楽にできたらいいですね。

「中野区エスニックマップ」のテーマである「食」を通じて、普段関心のない人たちにも身近な外国人のことを知ってもらうことで、少しずつ知り合うきっかけが増えていけばいいなと思っています。

取材のアポ取りや予算など、ボランティアでの活動なので何かと大変なこともありましたが、おかげさまで良い反響をたくさんいただいています。

お店は知っていたけど、なんとなく入りにくかったと言う人たちから、「(掲載店に)行ってみたくなった」と言ってもらえて、嬉しくなりました。
掲載したお店の方が、嬉しそうにマップを見ながら、「他のお店に行ってみたい」と言ってくれたのも、飲食店同士の横のつながり作りに貢献できた気がして、嬉しかったですね。

取材させていただいた飲食店のみなさんはもちろん、一緒に製作してくれたプロフェッショナルな仲間たち、スポンサーのみなさんにとても感謝しています。

 

−−「中野秘密基地」ではコーヒー豆の販売もされているんですよね?

ひみつきちコーヒープロジェクトとして、タンザニアのンゴロンゴロ自然保護区に隣接した農園のコーヒー豆を直火焙煎して販売しています。
ウォッシュ、ハニー、ナチュラル精製の豆で、それぞれにあった焼き加減で、同じコーヒーを違う味わいに仕上げています。

私の卒業した大学の教授の会社がこの農園を購入して、スマートビレッジという構想で、農園経営だけでなく農園周辺の地域のインフラ整備なども合わせて取り組んでいます。
今後中野秘密基地をどうしていくのかと考えていた時に教授が訪ねて来てくれ、コーヒーを売ってみたらどう?とお話いただき、2023年に農園に行って実際に現地を見てきました。
中野区の1.6倍もある自然豊かな大きな農園で、ひとつひとつ手摘みで収穫している様子も見学させていただきました。
みなさんが丁寧に作られているコーヒー豆なので、こちらでも丁寧に焙煎して販売したいと思っています。

 

−−「中野秘密基地」のアイコンや「たぬどん食堂」のネーミングにタヌキが使われているのは、なぜですか?

「やどやゲストハウス」を立ち上げて、数年後、ゲストハウスのマスコットを作ろうと、デザインを考えていた時に、当時ゲストハウスに泊まっていたロシア人の子が、「昨日、中野でタヌキを見たよ」と教えてくれたんです。
ささいなことですが、タヌキをモチーフにしたのはそれがきっかけです(笑)

それと、当時のゲストハウスのスタッフで、ふくよかな体型をしていたカナダ人のエルドンとタヌキを掛け合わせて、マスコットを描いてほしいと友人の漫画家さんにお願いして、現在のデザインが出来上がりました。

「たぬどん」は、「たぬき」と「エルドン」がくっついた名前です。その後、子ども食堂の名前を考えている時に「たぬどん食堂」にしよう!となりました。今は多文化共生こども食堂「たぬどん食堂」とチラシには書いていますが、「たぬどん食堂」が、いろんな人たちが集まる場所、というイメージになるといいなと思っています。

 

−−ぜひ最後に、今後挑戦したいことや目標があれば教えてください!

「中野区エスニックマップ」に関しては、今年は冊子の中身の更新に加えて、ウェブ化を進めています。
冊子に載せきれなかった裏話などもウェブでは掲載したいですね。

また、英語バージョンも新たに制作したいと考えています。
海外の方に向けて発信して、中野のことを知ってもらい、中野に遊びに来てもらうきっかけになればと思います。

今回の中野区エスニックマップでは、外国人という文字を大きく出したのですが、できればそのあたりをゆるめていきたいと、制作してからあらためて思いました。
「エスニック」という言葉は本来「民族的な」という意味で、日本人も含めた中野の世界の民族のごはんや、その他の文化なども紹介する冊子にできたらいいなと思います。

これまでに、「中野区エスニックマップ」の制作・発行や「たぬどん食堂」の運営、コーヒー豆の販売のような活動を積み重ねていく中で、様々な縁が生まれていくのを実感しています。
そうして生まれた縁を通じて、今後も多様な活動に無理のない範囲で関わっていけたらと思っています。

 

・「中野秘密基地」
所在地:東京都中野区中野1-12-6
HP:https://himitsukichi.life

 

 

【HYAKUYOU編集部】

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