
国籍も文化も超えて「声なき人々」に寄り添い続ける(一社)日中ボランティア協会の張剣波会長。
湖南省出身で、1987年に来日。早稲田大学大学院では政治学を専門に学び、博士号を取得。現在は早稲田大学の非常勤講師も務めています。
そんな張さんが会長を務める日中ボランティア協会は、「困難を抱える在日中国人を支援すること」と「在日中国人と日本社会とがより良く共生すること」を目的に掲げ、日々ボランティア活動を展開している団体です。
その活動は相談窓口の開設、専門家との連携、ホームレス支援、地域清掃・交流活動の実施など多岐に及びます。
「言葉を交わさなければ、理解は生まれない」。
張さんが語る多文化共生の鍵は、「交流」と「寄り添う姿勢」です。
言葉の壁や文化の違いにより孤立しがちな在日中国人に手を差し伸べることで、やがて日本社会との共生の道をひらく。
今回の取材では、協会が定期的に行うホームレスの方々への食料支援の現場に同行させていただき、支援から共生へと視点を広げる張さんの歩みをお伺いしました。
「助け合い」が悲劇を防ぐ。設立に込められた想い
−−本日はよろしくお願いします。早速ですが、日中ボランティア協会を設立された経緯についてお聞かせいただけますか。
協会を設立したのは2006年2月18日ですが、その直接的なきっかけは、前日に起きた一つの事件でした。
滋賀県で国際結婚をしていた33歳の中国人女性が、日本人のお子さん二人を殺害するという痛ましい事件が起きたのです。当時、このニュースは日本中で大きく報じられました。
私は1987年に来日し、地方での生活も経験していたため、国際結婚で農村などに嫁いだ女性たちが孤立しがちな状況にあることをある程度理解していました。
彼女たちは言葉の壁や文化の違い、いじめなど、多くの問題に直面します。
この事件の彼女も、精神的に非常に追い詰められていたのではないでしょうか。自分にも幼い子どもがいる母親が、これほど極端な行動に至るには、よほどの背景があったはずです。
そこで、私たちのように日本での生活が長く、社会事情を理解し、言葉にも不自由しない者が、困難な状況にある人々を助けることができれば、こうした悲劇は防げるのではないかと考えました。
困難を抱える在日中国人を助けることは、結果的に日本人を助けることにも繋がる。もし彼女を救うことができていれば、二人の日本人の子どもの命も救えたかもしれないのです。
この思いから、「困難を抱える在日中国人を支援すること」、そして「在日中国人と日本社会とのより良い共生を促進すること」、この二つを主要な目的として協会を設立しました。

−−一つの事件が、大きな活動の原点になったのですね。
はい。より広い視点で見れば、当時から日本は人口減少と高齢化が進み、労働力不足を補うために多くの外国人を受け入れざるを得ない状況と言えました。
外国人が増えれば、新たな社会的課題も生まれます。私たち在日外国人が主体的に課題解決に取り組むことで、日本が多文化共生社会へ円滑に移行する手助けができるはずです。
また、日本のメディアは中国に関する否定的なニュースを報じがちで、在日中国人全体のイメージに影響を与えています。
私たちが同胞を助け、問題を解決することで社会との摩擦を減らせば、在日中国人のイメージ向上にも繋がると考えました。
存続の危機を乗り越えて。二度の飛躍的発展
−−設立を決意されてから、すぐに活動は軌道に乗ったのでしょうか?
道のりは大変なものがありましたね。
事件の翌日に友人10数人が集まり、勢いで設立したものの、誰も協会の存在を知りません。幸運にも友人の記者が新聞で紹介してくれたことで、日本全国から電話がかかってくるようにはなりました。
しかし、当時の在日中国人の間ではまだボランティア意識が低く、経済的な成功が第一という風潮が強かったです。
数回会議を開くと参加者は半数以下に減り、一番少ない時は、呂正さんという、当時東大の留学生だった優秀な青年と私の二人だけになったこともあります。
彼が一緒に活動を続けてくれたからこそ、何とか持ちこたえることができました。
−−そこからどのようにして協会が大きくなっていったのですか?
最初の転機は、2008年の北京オリンピックです。当時、聖火リレーが欧米諸国で妨害を受けたため、長野で開催予定のリレーも心配される状況でした。
私は個人的な興味から長野に行くことを決め、万が一の事態に備えて、国旗を持っていくことにしました。
北京の友人に連絡すると、大きな国旗を20枚も送ってくれました。受け取った実物の国旗は、シルク製で非常に美しく、手触りも良い高品質なものでした。
そこで私は、「一緒に行ってくれる人を募ろう」と考え、参加を呼びかけたところ、100人以上が応募してくれました。
最終的には私を含めて81人が参加し、この活動を通じて、参加者の間に強い一体感が生まれました。
そして、帰京後、この81人全員が協会に加入してくれたのです。これにより、会員数は一気に3桁になりました。これが、協会にとって最初の飛躍的な発展になりました。
二度目の大きな発展は、2015年から16年にかけてWeChatが普及したことです。「百のグループ計画」と名付け、機能別に多数のグループチャットを作成しました。これにより、多くの人が活動に触れる機会を得て、ボランティア意識が育っていきました。
普段は発言しなくても、何年もグループにいるうちに「自分も何かしたい」と、ある日突然ボランティアに参加してくれる人もいます。そうした緩やかな繋がりが、私たちの活動の裾野を広げてくれました。

時代と共に変わる相談内容。一人ひとりに寄り添う支援
−−協会の日常的な活動について、具体的に教えていただけますか?
定期的にホームレスの方々への食料支援なども行っていますが、私たちの活動の多くは、実は目に見えません。
第一の目的が「困難を抱える人を助けること」なので、活動は個別対応がほとんどです。「こんな困難がある」という相談に対し、プライバシーを守りながら、一人ひとりに合わせて問題解決にあたります。
対応は私一人ではなく、協会理事会の十数人の理事、数百人というボランティア中核会員、そして弁護士や行政書士などの専門家が、それぞれの専門分野を活かしてボランティアで担当しています。設立当初から現在まで、延べ10数万回以上の談が寄せられました。
−−10数万回とはすごい数ですね。今と昔で相談内容にも変化はありましたか?
はい、大きく変化しました。
設立当初に多かったのは、「国際結婚」「研修生(技能実習生)」「残留孤児」に関する深刻な問題でした。
特に研修生の問題は、パスポートを取り上げられ、行動を制限されるような人権問題も多く、逃げてきた研修生を保護したことも一度や二度ではありません。
現在最も多い問題は「詐欺」です。次いで「不動産トラブル」などの経済問題、そして「労働問題」と続きます。
特に、日本で起業した中国人経営者と中国人従業員との間のトラブルが増えています。これは悪意によるものというより、日本の厳格な労務管理のルールを知らないまま、中国と同じ感覚で会社経営してしまうことが原因の一つです。

中立の立場で解決へ。印象に残るエピソード
−−これまでの活動で、特に印象に残っているエピソードはありますか?
ある地方の日本企業にいる女性研修生から、「上司から暴言や嫌がらせを受け、残業代も支払われない」と相談があった時のことです。私たちは彼女たちに状況を記録・録音するよう助言し、「日中ボランティア協会と同協会の法律顧問の弁護士に相談した。あなた方(企業)のやり方は違法だ」と会社に伝えるよう促しました。
すると2、3日後、彼女から「状況が一変しました!」と喜びの電話があったのです。
上司の態度ががらりと変わり、未払いだった残業代も支払われるようになったと。
私たちの存在が、声なき人々の「盾」となり、大きな力を発揮できるのだと実感した出来事でした。
ある時は、女性の研修生2人から泣きながら電話がきたこともありました。
先輩3人が暴力を受けたうえで強制送還されていて、「次は自分たちかもしれない」と怯えながら、援助を求めてきました。
私たちは、すぐにボランティアを向かわせて、まず2人を安全な場所に避難させました。
その後、私たちは、彼女たちが所属している組合の事務局長と話し合いをしたんです。
私たちはあくまで中立的な立場として、女性たちと会社の間に入って、話し合いを行いました。
その結果、女性たちと会社は円満に和解することができ、会社からは保証書も書いてもらえることになりました。


共に活動し、心を開くことが多文化共生の鍵
−−多文化共生を実現するために、何が大切だとお考えですか?
何よりも「交流」に尽きます。言葉を交わさなければ、相手を理解することはできません。
私たちの協会には日本人の会員もおり、理事会の3分の1から4分の1は日本人の理事です。
このように、中国人と日本人が一緒に活動することで、相互理解が深まると考えています。
そしてもう一つ、自己を過度に主張しすぎないことも大切です。現在の日本社会には、中国の台頭への警戒感も少なからずあります。
そうした中で一方的に自国の存在を誇示するのではなく、まずはこちらから心を開き、日本の社会に貢献する姿勢を示すことが重要です。
東日本大震災や能登半島地震の被災地でボランティア活動を行った際には、現地の方から「私たちが見た初めての中国人団体です」という言葉をいただきました。
こうした地道な活動の積み重ねこそが、多文化共生の鍵だと信じています。


次のステージへ。「支援」から「共生」に向けた提言へ
−−それでは最後に、協会の今後の目標や方向性についてお聞かせください。
実を言うと、協会は当時の一時の情熱で立ち上げたもので、明確な計画や目標、方向性というものは当初ありませんでした。
ただ、助けられる人を一人でも多く助けたい、何か良いことをしたいという思いだけでした。一人でも助けられればそれで良い、という考えです。
しかし、活動を続けるうちに、会として何をすべきか、今後どうしていくべきかという道筋が少しずつ見えてきました。
これまで行ってきた活動は非常に価値のあるものだと信じています。
まず第一に、これらの活動を途中で諦めずに継続していくことが大事だと考えています。
どのような活動でも、続けていくうちに人は減っていくものです。それでも、私たちは粘り強く続ける必要があります。
もし人が少ないからとやめてしまえば、そこで全てが終わってしまいますから。この活動を続けること自体に意味があるのです。
これまでの活動の9割は、困難な状況にある人を「助ける」という部分に力を注いできました。
しかしこれからは、もう一つの目的である「日本社会とのより良い共生」にも、もっと力を入れていくべきだと考えています。
−−支援だけでなく共生にも視野を広げていく段階に入ったということですね。
そうですね。在日外国人が急増する中で、日本社会が様々なプレッシャーに直面しているのも事実です。私たち在日中国人は、日本で暮らす当事者として、共生社会の実現にもっと貢献すべきです。
そのアプローチとして、最近は提言することについても考えています。
例えば、日本政府が日本人一人を育てる教育費の数パーセントでも外国人のために投資し、研修制度を設けることを提案したいのです。
長期滞在の外国人に対して、1週間とか1ヶ月の研修を義務付け、ゴミの分別から社会習慣まで、日本で生活するために必要な知識を教える。国が少しでも予算を割けば、社会の摩擦は大きく減るはずです。
私たち当事者の側から、建設的な解決策を社会に発信していく。
様々な問題が存在するのは事実ですが、ただ問題を指摘するだけでは何も解決しません。
今後は共に社会を良くしていくための具体的な提案をしていきたいと考えています。
それが、私たちの協会が今後果たしていくべき役割の一つだと考えています。

(取材・文/劉聰/在日中国人ライター)