
1991年中国・遼寧省生まれの夏楊さんは、ソフトウェアとハードウェアの両方に精通するエンジニアでありながら、コロナ禍での留学生支援活動をきっかけに起業家へと転身した異色の経歴の持ち主です。
起業家として、留学生の就職支援を行う人材ビジネスを始めた後、エンタメ事業を開始。
夏さんが手がけるエンタメ事業「出海計画/Global Project」の最大の特徴は、徹底的な「データ分析」と「IT化」にあります。
感性が重視される音楽業界において、全国数千箇所のライブハウス情報をデータベース化し、AIを駆使して最適解を導き出すその手法は、極めてロジカルかつ革新的です。
故郷で日本の音楽に憧れた少年時代、「底のある瓶を持て」という父独特の教育方針、そしてテクノロジーで文化の国境を溶かそうとする壮大なビジョンとは。
理性の「データ」と感性の「音楽」を融合させ、次世代の日中の架け橋となる夏氏の哲学と戦略に迫りました。
コンピューター少年が東大博士課程へ進むまで
−−本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします。
夏楊さん(以下、夏):夏楊と申します。1991年生まれ、中国東北地方の遼寧省丹東市の出身です。
経歴としては、中国の大学を卒業後、東京大学の博士課程に進みました。
小さい頃からコンピューターに夢中で、中学時代から独学でプログラミングを始め、国内のコンテストで賞を取ったりしていました。
「底のある瓶を持て」──ソフトではなくハードを選んだ理由
−−そこからなぜ、得意なソフトウェアではなくハードウェアの道へ?
夏:父の教育方針の影響が大きいです。父は大学教授だったのですが、「一つの瓶を満たすことに固執せず、底のある瓶をたくさん持て」とよく言っていました。底さえあれば、水は後から汲めばいいと。
ソフトウェアは独学で十分なレベルに達していたので、若い今のうちに新しい「瓶」を手に入れようと思い、ハードウェア(マイクロエレクトロニクス)を専攻しました。
その後、東京大学の博士課程では脳の機能を電子回路で模倣する「シリコン神経ネットワーク」という、AIとハードウェアの融合領域を研究しました。

日本留学を決めた原点は、雪深い街で聴いたJ-POP
−−そもそも、なぜ日本への留学を選んだのですか?日本に興味を持ったエピソードなどもあれば教えてください。
夏:高校時代から日本の音楽が大好きだったんです。
私の高校はとても辺鄙な場所にあって、大雪が降ると孤立するような環境でした。
楽しみといえば、先生に連れて行ってもらった店で「打口CD(カット盤)」と呼ばれる輸入CDを買うことでした。
そこで宇多田ヒカルや浜崎あゆみを聴き倒しました。
歌詞の意味は分かりませんでしたが、メロディや響きが好きで。
その後、留学先を考える際に、最初はアメリカを考えましたが、費用やビザの問題があったため、日本を選びました。
来日直前に交通事故で足を骨折してしまい、松葉杖をついて大学院入試の合格発表を見に行ったのは今では良い思い出です。
「生きていれば何とかなる」という楽天的な人生観はそこで固まりましたね。
コロナ禍の留学生支援が、起業へのスイッチを入れた
−−学生時代は中国人留学生らで組織される「全日本中国学生学者友好聯誼会」(以下、学友会)の会長も務められましたが、これが起業のきっかけになったとか。
夏:そうです。学友会は中国人留学生の自治組織で、私はそこで留学生の安全確認や交流イベントを統括していました。
特に2020年のコロナ禍では、隔離された留学生に「健康パック」という支援物資を配るために奔走しました。
当時、私は博士課程の卒業目前でしたが、コロナで実験室に入れず卒業が延期になってしまいました。そうして、研究への情熱が冷めていく中で、起業を考えるようになりました。
そこで、物資配布を共に行なったパートナーと学友会での活動を基盤にして、「留学生」と「優秀な人材を求める中国企業」をつなぐ事業を始めようと決意しました。
−−それが1社目の「図揚」ですね。
夏:はい。社名の「図揚」は「Too Young(若すぎる)」の語呂合わせでもあり、「海外へ飛び出す」という意味も込めています。
ブランド名の「当帰(ダングイ)」は漢方薬の名前であり、「学び終えて帰るべき(学成当帰)」という意味です。
私たちは学友会の活動を通じて「どこにどんな学生がいるか」という一次情報を持っていました。
ヘッドハンティングや留学生への就職支援を行うことで、企業と学生のミスマッチを解消するビジネスです。
日本では短期間で大きな融資を受けるのは難しいため、着実に信頼と実績を積み上げるモデルを選びました。
「情熱」と「タイミング」で踏み出したエンタメ事業
−−その後、2社目としてエンタメ・音楽事業「出海計画(Global Project)」を立ち上げられました。1社目とは毛色が違いますが、ここにはどんな思いが?
夏:1社目は現実的な選択でしたが、2社目は完全に「情熱」と「タイミング」です。
コロナが明け、中国国内ではリベンジ消費でライブ市場が盛り上がりましたが、出演者が固定化し、飽和状態(インボリューション)にありました。
一方で、日本のバンドはレベルが高く、距離も近く、コストパフォーマンスが良い。
ここに巨大なチャンスがあると思いました。
最初に手掛けたのは、中国のポストロックバンド「文雀」と日本の「SPECIAL OTHERS」の対バンイベントです。
日中双方の客層を混ぜ合わせることで、新しい化学反応が起きる現場を作りました。
−−理系のバックグラウンドが、感性が重視される音楽事業でどう活きているのでしょうか?
夏:徹底的な「IT化」と「データ分析」です。
私は日本全国5277箇所のライブハウスやコンサートホールの情報をスクレイピングし、独自のデータベースを構築しました。
キャパシティや過去の公演履歴などが網羅されています。
例えば中国のアーティストからオファーが来た際、他社なら数日かかる調査レポートを、私たちはAIとデータベースを駆使して30分で作成できます。
「あなたに似たアーティストはここで公演して成功しました」「この会場が最適です」と、データに基づいて提案できるのが強みです。
また、AIを使って楽曲のトレンド分析やSNSの世論分析も行っています。
今の時代、エンタメこそテクノロジーで武装すべきです。
−−非常にロジカルですね。昨年開催された音楽フェス「日中音楽フェスティバル」では、あえてスポンサーを取らなかったそうですが。
夏:はい。数百万円規模の赤字を出しましたが、自分たちのブランドを確立するための「授業料」だと思っています。
中途半端に人情に頼ってスポンサーを集めるより、まずは自分たちで最高品質のイベントを作り上げ、数字で証明してから、堂々とビジネスをしたかったんです。
その結果、日本側からも信頼を得られ、現在は多くの日本アーティストや会場と直接やり取りできる関係が築けました。

言語よりも「判断力」──日中ビジネスを動かす本質
−−日中間のビジネスにおいて、言葉の壁や文化の違いをどう乗り越えていますか?
夏:重要なのは「言語能力」ではなく「判断力」です。
以前は商談に通訳を連れて行っていましたが、今は下手でも自分の言葉で話します。
その方が熱量が伝わるし、実はビジネスの根底にある論理は日中で変わりません。
「この人は信頼できるか」、「ビジネスとして成立するか」という判断基準さえクリアできれば、あとは些細な習慣の違いです。
日本人はよく「空気を読む」と言われますが、信頼関係ができれば、向こうがこちらに合わせてWeChatを入れてくれたりします。
互いに歩み寄れるポイントを見つけることが多文化共生の秘訣ですね。
特に今の日本の若い世代は柔軟で、中国文化にも抵抗がないのでやりやすいです。
AIで文化の国境を溶かす──起業の未来図
−−最後に、今後のビジョンを教えてください。AI活用にも積極的だと伺いました。
夏:はい、現在は業務の多くをAIと共に進めています。
AIによる自動字幕生成や吹き替え技術が非常に発展しているので、それを活用して、言葉の壁を完全になくしたいですね。
例えば、日本のアニメを中国語に吹き替える際、オリジナルの声優の声質のまま、AIで口の動きまで同期させて中国語を喋らせることも技術的には可能です。
また、ユーザーの心拍数や運動リズムに合わせて、最適なBGMをリアルタイムで生成するサービスなども考えています。
「出海計画」という社名の通り、音楽だけでなく文化全般を海外へ送り出すプラットフォームになりたいです。
そして、私たちが道を切り開くことで、後に続く後輩たちがゼロから苦労せず、すぐに本質的な仕事に取り組めるようなエコシステムを作りたいと思っています。
日中の文化が融合すれば、世界でも無敵のエネルギーを生み出せると信じています。
−−理性の「データ」と感性の「音楽」を融合させ、さらに日中の架け橋となる。非常にエキサイティングな未来図ですね。本日はありがとうございました。

「出海計画/Global Project」
HP:https://www.globalproject.jp/
(取材・文/劉聰/在日中国人ライター)