
早稲田大学に程近い、新宿区の一角。大通りから一本入り、さらに細い路地を抜けると、突如として緑豊かな庭園と、趣のある民家が現れます。
ここは、建築士の金井昭彦さんがオーナーを務める「中井シェアハウス」。
外国人向けのシェアハウスです。
「日本の常識は世界の常識ではありません」
そう語る金井さんは、16年にわたり、様々な国からの留学生や若者たちを受け入れてきました。
再生させた「再建築不可」の物件で、金井さんが育んできたのは、単なる住居の提供にとどまらない、国境を越えたコミュニティです。
今回は、バックパッカーとして世界を放浪した若き日の体験から、シェアハウス運営で見えた多文化共生のリアル、そして日本の未来に対する危機感まで、金井さんにじっくりお話を伺いました。
外国人を敬遠する大家が多い中、あえて留学生を中心に受け入れた理由
−−初対面の人に会う時、金井さんはご自身の活動をどのように紹介されているのですか?
金井昭彦さん(以下、金井):
うーん、特別なことは言わないけれど、元々このシェアハウスを始めた時から、日本人ではなく外国人の若者をメインに受け入れてきたというのがありますね。
実は、一番最初に向こう側の棟だけで始めた時は、「韓国人専用」のシェアハウスだったんですよ。
当時の韓国人の友人に管理を任せていて、その人を通じて韓国のプラットフォームから入居者を募集していました。
ただ、その友人が亡くなってしまって。さらに日韓関係も悪化して、早稲田大学に来る韓国人の留学生もものすごく少なくなってしまったんです。
その頃、私の知り合いで千室規模の大きなシェアハウスをやっている人がいてね。
一つの国に限らず広く受け入れた方がマーケットも広がるし、うちにも昔からフランス人やアメリカ人、メキシコ人など欧米系の人も結構いたんですよ。
そこから多国籍なシェアハウスへと変わっていきました。
−−なるほど、最初は韓国の方から始まり、時代の変化とともに多国籍になっていったのですね。日本の大家さんは外国人の入居を敬遠する方も多いと聞きますが、金井さんは最初から抵抗がなかったのでしょうか?
金井:
ええ。一般的に日本人でシェアハウスに住む人というのは、生活面でルーズだったりしてトラブルが多いとも聞きます。
一方で、テレビなどでは「外国人は更新料を払わない」とか「文化の違いで揉める」とか面白おかしくやるから、外国人を嫌う大家さんは確かに多いですよ。
無きにしも非ずですが、そんなに言うほどのことでもない。
私自身が外国人に対するアレルギーを全く持っていなかったんです。
その理由は、私が20歳の頃の経験が大きいですね。
昭和のバックパッカー時代。「日本の常識は世界の常識じゃない」
−−20歳の頃というと、どのようなご経験をされたのですか?
金井:
当時、大学を1回辞めて専門学校に行っていたんですが、そのまま就職するのが嫌でね。バックパッカーとして、半年から8ヶ月くらい一人で海外に行っていたんです。
−−半年もですか! それは何年くらいのお話ですか?
金井:
昭和51、2年頃かな。今よりもっと円安の時代ですよ。
航空券だけでも片道14万円くらいしましたから、相当なものでしたね。
まだ「JALパックでクイズに当たってハワイに行こう」という時代ですから。
その頃だと、海外に行くと言うとみんながお餞別をくれた時代です。今、海外旅行に行くからって、誰も餞別なんか渡さないでしょう(笑)。
その代わり、無事に帰ってきたら免税店でタバコやお酒、それに海外の雑誌なんかを買ってきて配るというね。みんな欲しがってたんですよ。
−−ネットもない時代ですし、今とは比べ物にならないくらいハードルが高い時代ですよね。
金井:
そう。最初にフランスに入ったんですが、電話は通じないし、カタカナ英語で喋ったってガチャッと電話を切られちゃうし。
通訳機もないから、ガイドブックを見ながらフロントに行くしかない。
最初の1週間から10日くらいで「無理だ、帰ろう」と思いましたよ。
でも、ヨーロッパの列車がどこでも乗り放題になる「ユーレイルパス」という一番安い切符を1枚買って、フランスからスペインなどヨーロッパ中を放浪しました。
夜行列車に乗っていると、怪しい人に酒を飲まされて危ない目に遭いそうになったり、本当に色々なことがありましたよ。
−−まさにサバイバルな旅だったのですね。
金井:
一人で行っているから寂しいし、どうしていいか分からない。
でも、1泊500円か1000円くらいのドミトリーみたいなところに泊まりながら、現地の本当に色々な人たちに助けられたんです。
その時の経験があるから、「日本でシェアハウスをやるなら、初めて学生として来て右も左も分からない海外の子たちに、安心できる家を提供できたらいいな」というのが最初の始まりでした。
そこで海外というものを知ったし、言葉の大切さやコミュニケーションの取り方、国によって全然違うということを学びました。
「日本の常識は世界の常識じゃない」ということを、私はその旅で肌で学んだんです。

再建築不可。裏路地の物件が多国籍シェアハウスになるまで
−−シェアハウスの場所探しや立ち上げは大変だったのではないですか? 新宿区の中井という、非常に立地の良い場所ですよね。
金井:
実は、最初からシェアハウスをやるつもりで土地を探したわけじゃないんです。
私の本業は建築士なんですが、ある時、昔から知っている大工さんがここの横の家を建てていて。「新宿区から違反建築だと言われて困っているから、金井さんちょっと助けてよ」と頼まれまして。
それで来てみたら、新宿区役所の建築課の方が「違反建築だから直せ」と言っている。
話を聞くと、こっちの家の人(現在のシェアハウスの敷地の元の持ち主)が役所に「隣が違反建築だ」と通報したらしいんですよ。
それで、こっちの人のところに「すみません、今役所と調整するから」と謝りに行ったら、その人が「実はうちも家を建て替えたいんだ」と相談してきて。
−−思わぬ展開ですね。
金井:
でも、その土地はいわゆる「接道義務」を満たしていない物件でした。
こんな細い路地の奥にあって。日本の法律では、敷地が道路に2メートル以上接していないと、火事の際の避難や消防活動ができないため、新築はできないんです。
住宅も事務所も倉庫も、豚小屋すら建てられない。
それで、向こう側の敷地に避難通路を取るなどしてなんとか確認申請(建築許可)を取れる状態にしたんですが、1年以上かかってやっと許可が下りた頃に、その家のおじいちゃんが亡くなってしまって。
おばあちゃんは老人ホームに入り、娘さんが「この家を売却したい」と言い出したんです。
−−苦労して建築許可を取ったのに、売却することになったのですね。
金井:
ええ。それで娘さんが売却しようとしたものの、銀行はお金を貸さないんですよ。
なぜかというと、もう一度好きな建物を建てられるかというと、また1年がかりで許可を取らなきゃいけない。
許可が取れる保証がないから、銀行から見ると「担保価値がない」と判断されるんです。
それで全く売れなくて、「金井さん、買ってよ」と言われましてね。
安く買えるならいいですよ、と購入したのが最初です。
ちゃんとした道路に面している場所なら坪200万から300万はする一等地ですからね。
−−新宿の一等地ですし、ご自身で住むことは考えなかったのですか?
金井:
自分で住もうと思ったら、妻や子どもに「こんなスーパー一つない路地の奥に住めるか!」と反対されましてね(笑)。
それで、たまたま仕事でシェアハウスの設計をしたことがあったのと、先ほどのバックパッカー時代の思い出が蘇ってきて、海外の方向けのシェアハウスを始めることにしたんです。
本業が設計なので、これはサイドビジネス。だから「絶対に成功させて生活費を稼がなきゃ」という切羽詰まったプレッシャーがなく、気が楽だというのも大きいですね。

2棟目の購入と手作りの庭が繋ぐコミュニティ
−−2棟目を購入されたのも、ご近所との繋がりからですか?
金井:
そうです。その後、もう1棟の隣の家も売りに出されたんです。娘さんが九州に引っ越すことになり、九州と東京を半分半分で住むから「草取りも掃除も泥棒の心配もないマンションの方がいい」と。
ただ、そこも接道がないから銀行がお金を貸さない。最終的に私が買い取ることになりました。それで今の2棟体制になったんです。

−−2棟目を購入された際に大幅な改装をされたとのことですが、どのようなコンセプトがあったのですか?
金井:
一番のこだわりはこの「庭」ですね。
知り合いの設計士が作った「中庭のあるアパート」を真似てみたんです。
それに私自身、庭を手入れしたりするのが嫌いじゃないんですよ。
−−2月に大雪が降りましたが、雪景色の中庭は本当に美しかったでしょうね。
金井:
ええ、やっぱり庭があるとないとでは全然違います。
庭に10人以上集まってパーティーをしたりもしますよ。縁側を使えば座る場所もありますしね。
−−シェアハウス内でのルールはどのように決めたのですか?
金井:
シェアハウスのルールは、「人に迷惑をかけない」というのを基本にしています。
洗濯機、シャワーは夜10時までとか、あんまり騒がないようにとか。
あと、外出時は必ずエアコンと電気を消すこと。ここは各部屋にメーターがなくて、電気代は家賃に込みで「タダ(使い放題)」みたいなものですから。

かつてはボヤ騒ぎも。ホームページなしでも満室の理由
−−運営にあたって、気をつけていることはありますか?
金井:
一番は火事ですね。タバコは絶対にダメ。
過去に一回、入居者がボヤ騒ぎを起こしたことがあって。
私が新潟にいる時に電話がかかってきて、消防車が6、7台も来たんです。
灰皿に山盛りにしていたタバコの火が消えてなくて、煙が出て。
幸い火災報知器が鳴って、ドアを無理矢理開けたから大事には至りませんでしたが、あれはヒヤリとしました。
それ以外は、みんな仲良くやってくれていますよ。
たまに喧嘩して出て行っちゃう子もいますけどね。
−−パンフレットはありますが、ホームページはないとお聞きしました。入居者はどのように集まるのですか?
金井:
ホームページは用意していません。必要がないからです。
ほとんどが友達の紹介や口コミですね。
早稲田大学の留学生向け住宅センターに登録していた時期もありましたが、今は「友達が入りたいと言っている」という紹介が多く、ほぼ常に満室です。
−−シェアハウスには熱帯魚の水槽もありますよね!お世話はどなたがされているんですか?
金井:
私がやっています。昔は世話をしてくれる子もいたんですが、今はみんな興味がないみたいでね(笑)。
私自身、週に1、2回は必ずここに顔を出すようにしているんですよ。
入居者同士の送別会やパーティー、バーベキューも年に数回やっていて、退去した子たちとも縁が続いています。


ノルウェーの缶詰工場で日本人も出稼ぎをしていた時代
−−2010年から16年間シェアハウスを運営されてきて、多文化共生について金井さんが感じていることや、これからの日本社会への思いをお聞かせいただけますか。
金井:
一言で言えば、日本人は島国ということもあって、小さい頃から日本人としか接していない人が多い。
他の国の人たちとの接し方を知らないから、「自分たちの領域に入ってくるな」という排外主義的な考えになりやすいと思います。
昔の話ですが、建築現場に外国人が働いていると近隣から警察に電話が来て「外国人が働いているぞ」と通報される時代がありました。
ちゃんとビザを取って堂々と来ているのに、外国人を見たらみんな不法労働者だと思い込んでしまう。
近隣説明に行くと「外人は使うのか」と文句を言われることもありました。
−−なぜそのような偏見を持ってしまうのでしょうか。
金井:
今の日本人は忘れていますが、2、30年前の私たちの時代だって、日本人が海外に出稼ぎに行っていたんです。
アメリカに行って朝から晩まで働いて、一旗揚げようとしたり、ノルウェーの缶詰工場に行ったりね。
−−ノルウェーの缶詰工場ですか?
金井:
そうです。文字通り「缶詰」になって、休みも遊びもせずに働くんです。
給料がいいらしくて、そのお金を持ってアメリカに行く。当時はそういう情報が結構あって、多くの日本人が出稼ぎに行っていたんです。
今で言う、オーストラリアに日本の若者がワーキングホリデーに行って、時給2000円だ3000円で稼いでいるのと同じですよ。
そうやって日本人も外国で働かせてもらっていた歴史があるのに、いざ自分たちの国に外国人が来ると「使うな」と言う。おかしいですよね。
報道の責任と、「労働の歯車」扱いへの警鐘
−−社会で多分化共生を実現する上で、どのような姿勢が必要だとお考えですか?
金井:
日本人の中には「人が足りなくなったら、外国人を雇えばいい」という安易な考えを持っている人もいますよね。
でも、このままの日本だったら、間違いなく「選ばれない国」になりますよ。
円安だし給料は上がらないし、韓国やオーストラリアの方がよっぽど条件が良いんですから。
外国人を排除するような風潮が強まり、「本当に人が足りなかったら連れてくればいいだろう」という労働の歯車の一つとしてしか見ていないうちは、日本は絶対にうまく共生できません。
外国人も含めて、自分たちも一緒に「育てていく、共に成長していく」という考え方を持たないとダメだと思います。
例えば、ここにいたベトナム人の学生は、日本の大学で上下水道の技術を学んでいて、「この技術をベトナムに持ち帰って、国のインフラ整備に貢献したい」と言っていました。
そうやって日本の技術が海外で活かされたり、逆に彼らが日本と母国の架け橋になってビジネスが生まれたりする。そういう「共存共栄」の視点を持たないと、日本の未来はないと思いますよ。
−−ただ安く労働力を買い叩くような視点では、見透かされてしまいますね。金井さんは、これまで接してきた留学生は優秀な方が多いとおっしゃっていました。
金井:
ええ、優秀な人がほとんどでした。もちろんそうじゃない人もいると思いますが、それは日本人だって同じです。
メディアの責任も大きいですよ。
外国人が犯罪を犯すと大々的に報じて話題性を煽るけれど、全体的なパーセンテージから見れば日本人だって同じように犯罪を犯しています。
「中国人が交通事故を起こした」、「ベトナム人が豚を盗んだ」とそればかりやる。
もしこれから日本がもっと貧しくなっていったら、日本人も絶対に同じような犯罪をやりますよ。
−−一部だけを切り取って報道することで、偏見が助長されてしまっていると考えられるのですね。
金井:
そうです。最近の川口市のクルド人の問題にしても、メディアや一部の政党が煽って排除のムードを作っています。
若者に「そもそもクルド人がどこに住んでいるか知っているのか?」「クルドがどこかの国か知っているのか?」と聞いても、知らない人も多いんですよ。
国も背景も知らないレベルで「クルド人がどうのこうの」と議論する資格はないと思います。
共生しようというムードを作らず、排除しようとする社会の空気には危機感を覚えます。
事故物件でも再生できる。シェアハウスの未来と次なる旅先
−−最後に、金井さんのシェアハウス運営の今後のビジョンや目標を教えていただけますか。
金井:
このシェアハウスの規模をこれ以上広げようというつもりはあまりありませんが、ここは末永くやっていきたいですね。
最近はこのシェアハウスを見て、「自分もこういうビジネスをやってみたい」という人が私の周りに結構集まってくるんです。
普通にお金を出して物件を買って商売にしようとしても面白くないですが、今回のような「再建築不可」や、あるいは「事故物件」でも別に構わないわけです。
場所が良くて、安く買える穴場みたいな物件があれば、建築の知識を活かしてリノベーションできます。
そういう物件が年に1、2件出てくれば、興味がある人に紹介して、輪を広げていきたいという気持ちはあります。
−−金井さんのノウハウが引き継がれて、新しいコミュニティが生まれていくのはとても素敵ですね。プライベートでの目標はいかがですか?
金井:
もうすぐ67歳になりますが、少ししたらまた海外に行きたいですね。
昔行って良かったスペインなどのヨーロッパにもう一度行きたいけれど、今は物価が高すぎて大変かもしれないな(笑)。
東南アジアなんかもいいですよね。
実は私、色々な国に行っているのに、ベトナムだけは行ったことがないんです。
うちのシェアハウスにはベトナム人の子も多くて、ここでベトナム料理を作ってくれたりもするから、一度現地に行ってみたいですね。
帰国した元入居者たちに会いに行くのも楽しいだろうし。
−−シェアハウスで生まれたご縁が、金井さんの次の旅先へと繋がっていくのですね。本日は、多文化共生の本質を突く大変貴重なお話をありがとうございました!

【HYAKUYOU編集部】