
かつての「政冷経熱」という言葉だけでは語りきれないほど、日中ビジネスを取り巻く環境は複雑化している。今、中国とどう関わり、自身のキャリアを切り拓いていくべきなのか―。
東京都日中友好協会青年委員会は2025年11月30日、明治大学駿河台キャンパス(東京都千代田区)にて、その問いへの解を探る講演会「中国で働くリアルとは? 日中キャリアの描き方」を開催した。
登壇したのは、独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)・人事部長(講演時点)の小栗道明氏(55)。
中国全31省・市・自治区への訪問歴を持ち、中国共産党幹部とも交流実績を持つ中国ビジネスのスペシャリストだ。
小栗氏は約2時間にわたり、自身の経験に基づく「現場の流儀」と、次世代への指針を語った。
「日本鬼子」と呼ばれた原体験
「私のキャリアの原点は、痛みを知ることから始まった」
小栗氏は講演の中で、自身の対中観を決定づけたエピソードを披露した。
中学時代に訪れたシンガポールの博物館で「第二次世界大戦」が「The Japanese War(日本の戦争)」と記されていた衝撃。そして1996年、瀋陽留学中に現地の幼い少女から向けられた言葉だ。
「日本人(リーベンレン)」と言っても通じず、「日本鬼子(リーベングイズ)」という言葉で認識されていた現実。
「侵略された側の痛みや歴史的事実を直視せずして、中国との真の交流はあり得ない」。
この強烈な原体験が、その後の30年に及ぶ対中ビジネスの根底にある「相手の視点に立つ」という姿勢を形成したという。
首相会見を実現させた「信頼と利益」
ジェトロ職員として、北京、広州、上海と通算12年の駐在生活を送った小栗氏。
中でもハイライトとなったのが、2002年の朱鎔基首相(当時)との会見実現だ。当時、日本側からのアプローチだけでは会見は困難を極めた。
そこで小栗氏らが仕掛けたのは、中国側が推進していた「西部大開発」への協力姿勢を示すことだった。日本の中堅・中小企業約70社を率いて内陸部を視察するという実利のある提案が、中国側のニーズと合致したのだ。
「相手が何を実現したいのか、相手にとってのメリットは何か。それを自分事として捉え、汗をかくことでしか信頼関係は生まれない」。ビジネスの現場で培ったこの教訓は、外交関係が冷え込む現代においてこそ重要性を増している。

中国ビジネスの「リアル」とコンプライアンス
講演では、中国特有の商習慣とコンプライアンスの狭間でどう振る舞うべきかという、極めて実践的な議論も展開された。質疑応答で、現地での接待や贈り物文化について問われた小栗氏は、「自己人(身内)」と「他人(部外者)」という中国独特の人間関係の概念を挙げた。
「信頼関係を築き『自己人』のサークルに入らなければ、本音の仕事はできない。しかし、そこには日本の常識とは異なるルールが存在する」と指摘。
その上で、「郷に入っては郷に従う柔軟性は必要だが、一線を越えればリスクもある。中国の法律や文化を深く理解し、どこまでが許容範囲かを見極める高いリスク感度が不可欠だ」と警鐘を鳴らした。
実際に多くの日本人が「日本のルールの延長」で仕事をしてしまっている現状に対し、文化的な背景を理解することの重要性を説いた。
日本の勝ち筋は「オタク気質」にあり
EV(電気自動車)をはじめとする中国企業の猛烈な台頭により、日本企業の存在感が低下しているという懸念についても言及があった。小栗氏は「汎用的な消費財や、単なる組み立て産業では中国に勝てない」と認める一方、日本独自の強みとして「素材」「製造装置」「コンテンツ」を挙げた。
「日本人の強みは、ある種の『オタク気質』にある。細部までこだわり抜く匠の精神や、独自の世界観を作り上げる力は、ハイエンドな製造業やエンターテインメント分野で依然として高い競争力を持つ」。量での勝負ではなく、日本人にしか生み出せない付加価値の高い領域(上流工程)にこそ、今後の日中ビジネスの勝機があると分析した。

VUCA時代のキャリア自律
人事部長(講演時点、現在は総務部長)として組織の人材育成を担う小栗氏は、変化の激しい「VUCAの時代」におけるキャリア形成について、6つの指針を提示した。
1. 専門性×市場(中国という市場に、特定の業界知識を掛け合わせる)
2. 語学と文化理解(言葉だけでなく、背景にある文化を学ぶ)
3. 現場での小さな成功体験(自己効力感を高める)
4. ネットワークの構築(WeChatやLinkedInの活用)
5. 危機対応力(不確実性への柔軟性)
6. 言語化能力(自身の成果を記録し伝える力)
特に強調したのは、組織に依存しない「キャリア自律」の考え方だ。「自分のキャリアは自分だけのものだが、同時に後輩たちに見せる背中でもある」。55歳を迎えた小栗氏自身、定年を待たずして新たな挑戦を模索する姿勢を見せている。
「日中関係は山あり谷ありだが、経済と人の繋がりが切れることはない」。会場を埋め尽くした50名の若者たちに対し、小栗氏は「現場に足を運び、自分の目で「象(中国)」の全体像を見てほしい」とエールを送り、講演を締めくくった。
小栗道明氏へのインタビュー
取材の最後に小栗氏にインタビューも実施。
イベントを終えての感想や日中関係の仕事を目指す学生たちへのメッセージなどを伺った。
−−本日のイベントでは、ジェトロとご自身の経験について語ってくださいましたが、ご感想をお伺いしてよろしいですか。
現在、日中関係は非常に難しい局面にありますが、そのような中でも日中関係に携わりたいとの強い志を持つ多くの若者たちが集まってくれたことに感激するとともに、大いに勇気づけられました。
私のこれまでの経験を若者の皆さんが目を輝かせ、熱心に耳を傾けてくれる姿を見て、次の世代にバトンをしっかりとつないでいくためにも、これからも自身の経験をより多くの次世代を担う若者たちに伝えていきたいと感じました。
−−現在、日中関係はかなり緊張感がありますが、ジェトロとご自身の今後の目標やビジョンに影響はありますか?
公的機関としてのジェトロの活動については短期的には影響は避けられないと思います。
一方で、尖閣問題で日中関係が困難に陥り、中央レベルでの政府間交流が閉ざされた状況下でも、ジェトロでは地方レベルでの交流を地道に積み重ねた実績もあります。
今回もできるだけ早期にそのような交流が再開できることを願っています。
私自身の今後の目標やビジョンについては些かも揺らぐことはありませんが、このような難しい状況下であるからこそ、自分にできることは何なのかをしっかりと考え、それを行動に移していければと考えています。
−−これから日中間で働くことを目指す学生たちに伝えたいメッセージはありますか?
日本と中国は引っ越しのできない隣国であり、日中関係に携わることは非常に意義深いものであるのみならず、必ずや自分自身の成長にもつながるものであると思います。
目の前の状況に不安を抱くのではなく、これまでの長い日中間の歴史をしっかりと学び、振り返り、自分自身が何をしたいのか、何ができるのかを未来志向で考えて、チャレンジしてください。どこかで、一緒に仕事ができることを楽しみにしています。

(取材・文/劉聰/在日中国人ライター)